【Kissの会 ゲスト投稿no.59】   「学びと出会いについて」

2020-08-01 (7期) 加瀬 靖博 さん

 

人生も終末に差しかかってくると、自分の人生観や生き方に大きく影響を与えた多くの人達を思い出すことがあります。これまでの私の貴重な出会いは、学びと大きく関係があることに気づきました。新たな学びの場には日常と違った世界があり、そこへ勇気をもって踏み込むことで得られた貴重な出会いや経験が、その後の私の人生に大きく影響を与えていたのでした。そこでお世話になった人々について感謝を込め思い出してみたいと思います。

 

・小学校4年生の時に評判を聞いて自分で見つけてきた塾

先生は孫がいるおばあちゃんで、そこで学んだ事は、数値や文章題を図や絵に表すことで視覚的に全体を見て解決する方法でした。その結果、私の成績アップと現在のデータを表やグラフにして考えることの基礎となっています。なんと先生は私が6年生の時再婚しました。また、他校の友人は、今でも親友で結婚式に2回も出席しました。(現在3回目)

 

・大学3年生の時の2週間のテント生活での移動大学

KJ法の講習会であることを知らずに勘違いで参加しましたが、なんと塾で習った全体を視覚的にとらえる問題解決方法と同じで、今でも役立っています(写真:下)。

その出会いの場は私にとって別世界でした。私のテントには、新婚で保険会社を辞めて宅建を取り脱サラを目指す人(なぜか後に私も宅建を取りました)、パチプロで生活しているお兄さん(なぜか私も目指しましたが断念しました)、アメリカで牧畜を夢みる獣医学生、私達の講師である広島の元全共闘の女子大生リーダー、唯一何となく同類と思った東大の数学科の学生などがいました。彼とは現在も親友で妻の友達を紹介して孤独死を救ってあげました。また、先日コロナで暇なので掃除していたら、偶然約半世紀前のダイバーシティ、コミュニティ、サードプレイスについてのフィールドワークの研究発表資料が見つかり、テーマが大学院での修論と一緒だったので何か時空を超えた繋がりを感じました。


・就職後の20代で学んだ3年間の鍼灸学校

私の親友の母親が、国会で中曽根首相の鍼灸治療をしていたことから興味を持ち入学しました。そこには、お坊さん、銀行支店長の奥さん、2人の子供を抱えたシングルマザー、大手鉄鋼会社を辞めて子供3人をかかえて学ぶ30歳など、とても刺激的な人達が学んでいました。30歳の彼は、すぐに整骨院、鍼灸院を開業し、その後順調に支店を増やし、3年後には一軒家に住みドーベルマンを2匹連れ、外車に乗るようになっていました。その後専門学校を開き、さらに自分の名前を付けた大学の学長になりました。開業当時に給料3倍出すからと誘われたことを思い出します。

 

・退職後の沖縄でのスキューバダイビングスクール

講習生は2人だけで、もう一人は夏休中の慶応卒の30歳の現役日テレアナウンサーでした。ここでの出会いは、定年後に旅行などをしてのんびり暮らそうと思っていた私の考えを大きく変えました。その理由は、講習での実技や学科で現役バリバリの彼よりもちょっぴり成績が良く、「なんだ、まだまだやれるのだ」とつい思い込んだからでした。

・RSSCと21世紀社会デザイン研究科

こうした思い込みの自信が、このチャレンジに繋がりました。RSSCでは、社会で活躍された偉大な先輩方の元気で活発に学ぶ姿から刺激を受け、「まだまだやってもいいんだ」と再び私の人生観を大きく変えることになり、大学院での多様な人達との出会いは、さらに私に大きな刺激を与えました。おかげで、現役時代には想像もできないくらい、忙しく充実した素晴らしい人生を送り、最近初めて会社員となりました。

 

このように私が出会った人々や経験は今に繋がり、私の人生をとても楽しく充実したものにしてくれています。これからも偉大な諸先輩方に負けないように、残された悔いのない人生を送りたいと思っています。みなさん ありがとうございました。