【Kissの会 ゲスト投稿no.69】      「安曇野日和 『チャレンジ編』」

2021-05-01  森部 美由紀さん

 

2020年1月5日、雪を掻き分けた玄関でお客様を送り出した私たちは、凛とした空気と心地よい達成感を味わっていた。そこれまでの八寿恵荘は年末から冬季休館していたそうだが、お客様のご要望にこたえ年末年始も営業しようということになり、夏が終わりに近づくころから話し合いを始めていた。 

年末年始の旅となれば、豪華な食事やお節料理を期待しているのではないか。しかし私たちにはそれに応えられるような力量はない、食材も限られている。そもそも豪華な料理が食べたい人はここを選ばないだろうし…。八寿恵荘ならではのおもてなしとは何なのか、逡巡は続いた。

 

そして漸く、豪華ではないけれども本物にこだわり、心地よい空間と体に優しい食事の提供をしようという事で意見がまとまった。日頃から大切にしている軸を曲げないことが肝心なのだとわかると、気負いがなくなるのかその後はスムーズに進んだ。

 

少し色づけたのは、山から切り出した竹と、米を収獲した後の藁で門松を作ること。年末の滞在には夕食の後にそばを用意すること。大晦日は近くの寺に除夜の鐘を突きに行くことと、大峰高原(宿はこの高原の中腹にある)で初日の出を拝むこと。お屠蘇には地元酒蔵の日本酒をふるまうこと。お節料理は手間を惜しまず、雑煮には鰤を入れること。年始の滞在には餅つきをすること、である。私はこの餅つきの担当になった。

 

母の実家がかつて米屋だった我家では、大晦日が近づくと親戚中集まって年越し用の餅をついた。正月でなくとも何かお祝い事があれば餅をつく。それが当たり前だと思って育った私に白羽の矢があった訳だ。他のスタッフは、我が子と同じ世代なのだから、経験がなくても仕方がない。まずは練習をしてみることにした。

米は何升必要かから始まり、浸水時間、蒸かす時間の確認。臼と杵、竈の準備。いざ搗き始めたら冷めないうちに一気に仕上げる。時間との勝負なのよ!と、餅つきのコツを伝授していった。

 

練習中、張っておいた熱湯がすぐに冷め、こぼれた水は凍って足元が滑りやくなるのにはさすが長野だと思った。それにお客様に楽しんでもらうことが第一だと気付き、時間との勝負という看板は早々におろしてしまった。

 

せっかくの機会だから、じっくりと餅をつき手ごたえを感じてほしいし、つき始めのおこわに少し醤油をつけて頬張ってほしかった(我が家では「半殺し」と言いこれを食べないと、餅つきをした気にならないくらいだった)。

本番でも初めて食べるという方ばかりで喜んでもらえたと思う。搗く時はリズムも大切で掛け声をかけながら、和気あいあいとした雰囲気で進んでいった。

 

段々と手際がよくなる若いスタッフが頼もしく見えたのは、年のせいだろうか。それにしても子どものころ見よう見まねで覚えた餅つきがこんなところで役に立つとは、ご先祖様もさぞ喜んでくれただろう。

除夜の鐘を衝き終えて見上げた満天の星。数時間後の日の出を大いに期待しながらの帰り道。一年の締めくくりに素敵なご褒美をもらったような気分だった。その後宿は約1か月の冬季休館入り、私は本宅のある川崎に戻った。

 

本宅滞在中は1年間のご無沙汰を埋め合わせるように、友人に会うのだから、家に落ち着いていたとは言い難く、もし私が前後不覚のままこの世を去ったら、今回会っていた人には沙汰を出してね、と夫に言い残して長野に舞い戻ってしまった。


2月中旬、再開の準備に取り掛かった私たちにも新型コロナウイルス感染症という言葉が聞こえてきたが、それから始まる1年がこれまでと全く展開になろうとはまだ誰も思っていなかった…。(続きは「スピンオフ編」で)。