【Kissの会   ゲスト投稿no.70】      「パリの墓参り」

2021-06-01(7期生)柴田 修 さん

 

コロナ騒動で1年以上が経過、私達の生活は随分変わってしまった。友人との会食・飲み会などは激減、海外旅行は勿論、国内旅行の計画すら立てづらい。そんな中、今から4年前に経験した「海外の墓参り」につき記してみたい。

今から10年ほど前、妻の母方の叔父から家系図の部分的な写しを渡された。

その後、家系図のことはすっかり忘れ5年が経過。2015年末、妻が英国南部の英語学校に行った時、彼女の故郷、鹿児島の薩摩藩英国留学生に関する情報を耳にした。それは留学生の中の一人が叔父から貰った家系図の中に記載されている人物(鮫島(さめしま)尚(なお)信(のぶ))らしいとのこと。

 

帰国した妻からその薩摩留学生の話を聞き、家系図で確認すると共にネットでも調べてみた。更に知人からの情報で、鮫島尚信(1845年~1880年)に関する資料が国立国会図書館の憲政資料室にあることが判明。早速、国会図書館に行き資料を閲覧させてもらった。だが昔の書物は墨字で解読が難しく我々が判読出来たのはせいぜい2割弱。しかし、鮫島尚信が妻の先祖であることが叔父からの家系図と照らし合わせ間違いない事が判明。

 

因みに鮫島尚信とは1865年に薩摩藩英国留学生として森有礼などと欧州に渡り1870年、仏国、独国など五カ国の初代日本全権公使となった日本人。1880年、赴任先のフランスで病に倒れ35歳の生涯を閉じた。そして遺体はパリのモンパルナス墓地に埋葬された。最近判った情報では、鮫島がルイビトンのバッグを購入した最初の日本人だそうである。

薩摩留学生銅像(鹿児島中央駅前)
ー中段向かって右が鮫島尚信ー


そこで鮫島尚信の眠っているパリのモンパルナス墓地に墓参に行こうと思い立ち、早速旅行計画を立てた。旅程は2017年2月23日~3月2日の(8日間フランスの旅)でモンサンミッシェルやパリ市内を巡り、パリでは2日間の自由時間が取れる旅だった。

旅は順調に世界遺産のシャルトル大聖堂やモンサンミッシェルなどを巡りパリへ。2月26・27日はパリ市内の観光、2月28日・3月1日は自由行動、この2日間でご先祖様の墓参りをすることにした。

  ※左写真は、焼失前のノートルダム寺院

 

パリではエッフェル塔近くのホテルに宿泊、街中へ行くには最寄り駅から地下鉄で行くのが良さそう。自由行動1日目はオペラ座付近を散策、オルセー美術館で絵画鑑賞後に場所確認のためモンパルナス墓地へ。

墓地の管理事務所で鮫島尚信の墓を案内図に記入してもらい墓地の中へ。しかし教えてもらった場所に彼の墓らしきものは見つからない。後で管理人の案内図への記入が左右を間違えていたことが判明。仕方なく墓地の中をあちこち探していると、道路の反対側に大きな日本式墓石が見える、行ってみるとそれがご先祖様の墓だった。

 

完全な和式の大型の墓で、墓石には没した日本の年号と「日本特命全権公使鮫島尚信の墓」と日本語で刻んであった。多分この墓石は日本から持ってきて建てたものだと思われる。

 

翌日は旅行最終日、まとめた荷物をデスクに預けチェックアウト。そして墓地に向かう。最寄駅で地下鉄を降り近くのカフェで軽食を取り、墓地の手前にある花屋で墓に供えるための花を買い、ご先祖様の墓に向かう。因みにこの墓地にはサルトル、モーパッサン、サンサーンス、最近ではシラク元大統領など多数の著名人が眠っており訪れる人も多いらしい。

 

ご先祖様の墓に花を供え、手を合わせて祈りを捧げ、写真撮影などをした後、墓地の中をゆっくり散策してから墓地に別れを告げた。

鮫島尚信の墓


「機会があれば、また会いに来たいね!」と話し、その日のうちにパリを離れ帰国の途についた。