【Kissの会 ゲスト投稿no.71】  「安曇野日和:『スピンオフ』①」

 2021-07-01  森部 美由紀さん

 

連載3回目*で早くもスピンオフになるほど、その後の展開は経験したことのないことばかりだった。2020年2月、再開を心待ちにしてくださるお客様で順調に予約は埋まっていった。

     *連載1回目:2019-8(ゲスト投稿Ⅲ)、連載2回目:2021-5(ゲスト投稿Ⅳ)をご覧ください【事務局】

昨年は近くの白馬スキー場でも雪不足が心配されていたが、この年は雪に恵まれ、初夏にはカモミールで埋め尽くされる宿の周りの斜面も格好のそりゲレンデになりファミリー層に人気だった。3月になると雪の降る回数は減り、「早春賦」に謳われた清々しい季節がやってくる。

 

しかし人々が安心したころに雪は降る。しかもどっとである。今回もあっと言う間に一面の銀世界。でもこの時期の雪は止んでしまえば陽光にさらされてすぐに消えるのが常だ。

この日、宿ではハーブ王子をお迎えしてイベントが開かれていた。1日目は麗らかな日差しの中、王子と一緒に芽吹いた草を愛で散策、山菜取りを楽しんだ。が、その夜から朝まで雪が降り続き、2日目は雪中行軍になってしまった。それでもお客様は天からのサプライズと、好意的に受け止めてくださりイベントは無事に終了したかに思えた。

 

しかし朝食が済み、もう一度ハーブのお風呂に入ろうという時に、ハプニングは起きた。

 「すいませーん、お湯が出ないのですが…」

その声に今度は私たちが凍り付いた。停電による断水が起きたのだ!。お客さまには事情を説明し、浴槽のお湯で温まっていただくことで了承を得た。

 

その間に、駅までの道路状況、電車の運行状況を調べたところ、車の走行には問題なかったが、JR篠ノ井線は不通。再開の見通しはなかった。ツアーの復路は新幹線利用とのことで、急遽長野までバスを出すことになったものの、1時間半の雪中走行を思うと、見送りの笑顔は多少引きつっていたかもしれない。それでも道中の安全と、運転手へのエールを込めていたことは間違いない。

 

その後は、明日以降の予約者への連絡に追われた。結局、雪の重みで倒れた木が電線にかかったことによる停電は回復するのに3日を要し、宿は臨時休館。お客様にお詫び状を書き、せめてご自宅でハーブの湯をお楽しみいただければと、自社の入浴剤とともに送った。「停電」というものを忘れ切っていた私にとって、雪が停電の原因になり、それによる断水が宿にとっては致命的だということを思い知る出来事だった。

 

それからどうにか平常を取り戻したのも束の間、緊急事態宣言が発出されたのだ。長野県の旅館業者にも一斉に自粛要請があり、八寿恵荘も休館することになった。コロナが他人ごとではなくなったのはこの時だ。

期間は5月31日までとされ、これは我が宿の繁忙期、カモミールの開花時期とぴったり重なっていた。もちろん予約も連日満室である。またもやお詫び状を送ることになるとは…。しかも数は前回の比ではない。

 

休館による経営悪化は明らかだが、何をしたらよいかわからず不安ばかりが募る日々。コンサルを含めた話し合いの結果「八寿恵壮弁当」(左写真)に活路を見出した。

 

但しただの弁当というわけにはいかない、八寿恵荘らしく、オーガニック食材と、カモミールの香りをお届けしなければ。数日後、開けた途端にお客様を笑顔にするような美しさと、優しく体にしみこむ美味しさを兼ねそなえた、キッチン渾身の作が出来上がった。

 

この歳になってお弁当の売り子になるとは思いもよらぬ事だったが、完売した時の喜びは年齢に関係ないことも嬉しかったし、皆で健闘を称えあった。大量生産できないという問題はあるものの、八寿恵荘を地元の方に知っていただく機会になったのは収穫といっていいと思う。お弁当は好評を博し、内容を変えながら現在も続いている。

(スピンオフ②へ続く)