Kanekoの投稿

【Kissの会 第176回投稿】        「スマホ教室」

2023-12-11

 

今年の夏はスマートフォン(以下スマホとする)を機種変更する必要性を感じていた。新しいスマホに慣れてから、8月後半からの北海道旅行を楽しもうと考えて機種変更をした。姪に機種変更したと連絡したら、「すぐに慣れるよ! iPhoneにしたの?」と返信があった。「すぐに慣れる」と若者は簡単に言うけれど、不安だ。確かに大幅な変化もないので、今までと同様使うことはできる。

しかし、「よく考えてみよう!知っていることや多少できることもあるが、スマホについて正式に習ったことはあるのかな?」と頭の中のもう一人の私が聞いてきた。何となく使っているが、スマホの機能の一部分しか使えていない。さらにスマホを狙った架空請求詐欺や個人情報を不正に収集するアプリケーションによる被害が発生していることが度々報道されている。被害には遭いたくないし、友人の個人情報を流失なんて事態も考えられる。頭の中は心配で破裂しそうになった。その時に「スマホ教室」ののぼり旗に出会った。そうだ、夫も誘って「スマホ教室」に思いきって通ってみよう!


いざ通い始めると「楽しい」の一言である。私たちよりも年配の方もスマホと格闘している。その姿を見て、負けずに頑張る気持ちが強くなった。普段はスマホに関しては口数の少ない夫も、いろいろ質問し操作に慣れてきた。月に3回程度だが、二人で一歩一歩基礎から教えてもらっている。知っていることもあるが、実践できるかは別物かもしれないと思っている時に、QRコード騒動が起こった。

確かにQRコードを読み込むことはしていたが、今回は違う。それは「義母の入院面会予約は、事前にQRコード利用による」ということである。普段なら簡単にできる読み込みも、気が焦るばかり。気持ちを落ち着けるとQRコードは簡単に読み込むことはできた。必要事項を入力し送信すれば終了になるはずであった。しかし、容易ではなかった。必要事項は「氏名(漢字、フリガナ)・Eメールアドレス・電話番号・面会希望日及び時間帯」だけなので、難しいことはないはずなのに、エラーで送信できない。

  

頭の中は、落ち着け!ゆっくりもう1回入力しようなのに、原因は「電話番号は必ずハイフン記号を入れる」と、小さな文字で書いてあったのに気が付かずにいたのだ。どうしようと思っていた時に、姪のパートナーが買い物から帰ってきたので、入力を頼んだらすぐに面会予約が完了。エラー原因も教えてもらい、それ以降は面会予約もスムーズにできるようになった。幸いなことに義母の入院も短期間で済み、面会予約も3回で終了することができた。今回のことで、スマホを普段から使い慣れていないと病院の面会もできなくなるということを知った。

まだまだスマホの一部の機能しか使うことができていないが、スマホのおかげで、また一つ私たちの生活が便利になり快適に過ごせることがわかった。今回のQRコード騒動で、言い古されていることだが、焦りは禁物。そして、わからなかったら冷静な目を持った人に相談するということが大事だと感じた。スマホを安全に使いこなせることができるように、夫と二人でスマホ教室にこれからも通っていきたい。(7期 金子)        <事務局記:右はイメージ写真>

 

 

 


【Kissの会 第165回投稿】     「さいたま新都心周辺を歩いてみませんか?」

2023-06-11

 

さいたま新都心は、昭和59年(1984年)に貨物列車の中継基地である「国鉄大宮操車場」の跡地や片倉工業跡地等を利用して、埼玉県の核となるように平成12年(2000年)街びらきをした新しいまちである。まちは「バリアフリーの街」「地球に優しい街」「景観の美しい街」「災害に強い・安全な街」「情報が行き交う街」の5つの特色を持っている。今日は「景観に美しい街」を確認しながら、歩いてみることにする。

←けやき広場

 

  さいたま

スーパーアリーナ→


JRさいたま新都心駅の改札を出て西側に向かうと、最初に目に飛び込んでくるのが220本の欅である。欅は、埼玉県そしてさいたま市の木として親しまれている。ビルの谷間にあるけやき広場は1年を通して安らげる憩いの場所であり、今の季節は新緑から深緑に移り変わる時で、この時期の欅は特に強さを感じることができる。けやき広場から右手を見ると、新都心の象徴である「さいたまスーパーアリーナ」がそびえている。高さは約15階建てビルに相当するので、大きさにも高さにも圧倒される。大きさを実感するために外周を歩いてみた。天気が良ければ、スカイツリー・筑波山・秩父連山・富士山を眺めることができるので、気持ちが塞いでいるときには、歩くだけで心が軽くなる場所でもある。

けやき広場に戻り東京方面に歩いて行くと、「さいたま赤十字病院」「県立小児医療センター」が見えてくる。病院を背にして線路側を見ると首都機能の一躍を担う合同庁舎1、2号館と検査棟が見える。2号館はヘリポートもあり、国の広域防災拠点として整備されている。建物だけを見ていると、機能的だが何か暖かさを感じないこともあるが、この合同庁舎周辺には訪れたときに見てもらいたいものがある。それはアート作品と花木である。特に関東圏内の8つの地域に住む小学生による「生き生きとしているもの・生きているようなもの」を表現している10種類の作品である。見ているだけで、命への力強さを感じることができ、小学生の作品から元気をもらうことができる。特に「ほしにすむ」と名付けられた作品は、内側には製作に携わった284名の名前が刻まれている。勿論美術作家による作品も多く設置されているので、作品を探しながら散策するのも楽しい場所である。

<ほしにすむ>


アート作品を探しながら歩いていると、せせらぎの丘と呼ばれる、植栽とアート作品が一体化した場所に着く。今日はまるでホップの実をつけているような「クマシデ(左写真)」「イヌシデ」を見つけることができた。春に綺麗に花を咲かせていた「ハナズオウ」は豆科の植物らしく、まるで枝豆のような実がなっていた。黄色の花が綺麗な「ビヨウヤナギ」「キンシバイ」を見ることもできた。「シモツケソウ」「アオキ」「クスノキ」を見つけることができた。1時間あまりの散策で、多くの花木に出会うことができるのも魅力の一つである。20年以上の月日が花木を成長させ、ゆとりのある空間を生み出し、さいたま新都心の個性を表しているように感じる。都市の中の緑なので、森や林の中を歩いているような感覚ではないが、まだまだ沢山の花木を見ることができる。「さいたまスーパーアリーナ」「けやき広場」だけではなく、アート作品と花と緑を探しにさいたま新都心周辺を歩いてみませんか?   (7期 金子)

  ※花木については、多田多恵子先生 「小学館図鑑 NEO 花」を参照した。

 

 

【Kissの会 第154回投稿】  「モヤモヤよ さようなら」

 

2022-12-11 

 

白内障は年をとれば避けられない国民病であり、40歳代で発症する人もいて、80歳以上になると詳細な検査をすれば、ほぼ100%見つかるといわれている。カメラのレンズの役割をしている水晶体が、老化によって徐々に濁るのが白内障である。その結果、外からの光が濁りにより入りにくくなり、物がハッキリとしないで、かすんで見えるようになってしまう(右写真&左下写真/click)。 


夫は5年前にウイルス性結膜炎に罹ってから、眼科に定期的に通院するようになっていた。症状が重かったこともあり角膜に強い炎症を起こしてしまい、後遺症として視力の低下があった。さらに加齢による白内障も進行していることが指摘されるようになった。点眼薬による治療と経過観察のために定期的に眼科を受診していた。医師からは「白内障は自分で不便を感じたときが手術をするタイミングです」と説明があった。昨年からは視界が全体的にかすみ不便を感じ、手術の時期を考えるようになった。そこで、本やネットからの情報と同時に、おばさん・おじさん達のネットワークを通して情報収集をした。

その結果、白内障手術を経験している人が多いことに正直驚いてしまったが、「よく見えるようになった」の言葉を頼りに手術をする日程を調整した。気候の安定する10月に4泊5日の入院・手術をすることにした。日帰り手術や1泊入院手術もあるが、嫌なことはまとめて済ませるべきだと思い4泊5日の入院・手術を決めた。手術を経験した人からは「たいしたことは無い、30分くらいで痛くもないし、すぐに終わるよ!」と、慰められ、強がりなのか本当に簡単なのかはよくわからないが、術後の快適さを教えてくれた。実際に夫が手術をしてみると大方その通りだったが、1点だけ足りなかったものがあった。それは手術中の「目を動かさないようするのはつらい」ということである。それ以外は情報通りだった。

入院中に「よく見えるようになった。今までが嘘のよう!」と連絡があり、心配も吹き飛んでいった。夫は手術前のモヤモヤした気持ちがスッキリし、スマホの画面もよく見えることから、病院での食事の写真も送ってきてくれた(右写真)。大学卒業後の就職先として、私は病院や保健所での栄養業務をすることも考えたことがあって、病院食に興味があり、送られてくる写真は楽しみだった。コロナ禍で面会ができないので、食事の写真を見ているだけで安心することができた。

 

私は30代、50代で大きな手術による入院をしている。特に30代の時にはICUに入ったので、一晩夫に病院に泊まってもらっている。仕事帰りに毎日病院に来てもらっていながら、わがままを言っていた記憶だけがある。今回の夫の入院で何か恩返しができればと思っていたが面会禁止の5日間は何もできないままで過ぎ去ってしまった。

 

退院後、しばらくしてから洗髪や洗顔そして髭剃りも許可され、心配していた炎症も起きていないようで、1日4回の点眼リズムにも慣れてきた。視力も安定したので、新しい眼鏡を作ることができ、車の運転も再開することになった。夫も私も今までの日常生活の有り難さを感じながら、手術に対する不安のモヤモヤも、見づらいモヤモヤもスッキリしたと喜んでいた。

 

ふと、よく見えるようになった夫の目には私の顔はどう見えているのかが心配になってきた。マスク生活を言い訳にして、緩みすぎていた生活に甘えている自分の顔をしっかりと見たら、皺もシミも増えている。「遅すぎる、手遅れだ!」夫はモヤモヤからさようならしたが、私の心はモヤモヤしてきた。私もモヤモヤからさようならをするために、諦めずに顔の手入れを始める決心をした。絶対スッキリとした健康的な顔で、新しい年を迎えることができるようにしよう! (7期 金子)

【Kissの会   第143回投稿】  「ヘモグロビンA1cも右肩上がり」

2022-06-11 

 

生活習慣病や生活機能低下の予防と、季節の風を楽しむためにウォーキングとテレビ体操が私に継続ができる運動習慣となり、「フレイル」という言葉が少し遠ざかっていたと思っていた。しかし現実はそう甘い物ではなかった。昨年の人間ドックの結果は、右肩上がりで上昇している項目が多くみられた。ヘモグロビンA1c(以下HbA1cとする)、体重、BMI(体格指数)、腹囲、中性脂肪の数値が綺麗に右肩あがりに上昇していた。確かに基準値オーバーではないが、このままでは内臓脂肪が蓄積されメタボリックシンドロームが心配になってきた。

 

 中学や高校時代の友だちと話していると、HbA1cの数値が高く再検査になってしまったことで異様に盛り上がってしまった。当然同級生だから同じように加齢による現象が始まっているが、数値に一喜一憂する年齢になってしまったことに笑ってごまかしていた。

広辞苑には「ごまかす」は人目を欺いて悪いことをすると記載されている。笑ってごまかしていると、身体の中に悪いことが着実に生じてしまうと心配していた時に、私の人間ドックの結果を見て、主治医から「HbA1cの数値を少し下げる努力をしてください」と指摘された。 

 

わかっているが先に進めないでいると、本屋で「やせる科学」という本に出会った。手にとってみると、健康的にやせるために最新の科学知識を身につけましょうと書いてある。もう一度、人が太る仕組みや代謝のメカニズムを頭の中でしっかり整理をすることが必要だと感じた。土井善晴さんの本に「人は五感と経験に照らし合わせて、良い食品か悪い食品かを判断し、更にお料理から楽しみや様々な感情を得ることができます。」という一節があったことを思い出し、「やせる科学」という本は、私の五感と経験から良い本だと判断することができ購入した。


本の内容は、太る仕組み、代謝の仕組み、科学的に正しい食事について等があり、読み進めていくと私の脳は、「今こそ行動の時」と囁いてきた。具体的な方法を探していると、本の最後にやせるための科学的に正しい運動があった。ウォーキングやテレビ体操を続けることも大事だが、レジスタンス運動(筋肉に抵抗をかける運動)を行って筋肉量の増加をする必要性を強く感じた。そして、筋肉は糖質の8割を取り込み血糖値の調整を担っているので、筋肉量が増加すればHbA1cの数値も低下することができることを再確認した。

初心者や高齢者、持病のある人向けにスクワットによるスロートレーニングで足腰を鍛える方法が図解入りで丁寧に書いてあった。読み終えてから反省をすることがあった。それは朝日新聞2020年4月22日の切り抜きである。シニア世代の健康を保つためにスクワット、もも上げ、ひざ伸ばしの方法が掲載されていて、新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐために家に閉じこもりがちだった時期には、一生懸命実行していたのに忘れ去っていたのだ。しかし今回は目の前にHbA1c6%の数値がチラチラしているので、スクワットによるレジスタンス運動を始めた。


5月になると、スクワットと食事の見直しが功を奏したのか、HbA1cの数値は目標である5%台となり、体重も1ヶ月に1kgのペースで減少していった。20代の時に読んだ「読むだけで痩せる」という本のことを突然思いだした。読むだけでは痩せることは不可能だと思いながらも購入してしまったが、そこには名言「あなたの意志しだい」と最後のページにあった。これこそが大事なことだ。「意志」の継続によって、HbA1cの数値や体重を減少させることができるのだ。しかし、血液検査の結果から栄養状態も良好であることを確認しなければ、本当の意味での右肩上がりからの脱却にならないので、6月の採血を少しだけ楽しみにして、これからもスクワット運動を続けていくことにする。      (7期生 金子)

 

 

【Kissの会  第132回投稿】    「見守ってくれている柿」

  

古木のようになった柿の木が実家の庭に1本ある。どのような経緯で庭に柿が植えられることになったのかは、姉も私も知ることはできない。物心がついいた時から柿の木はあり、柿と共に姉と成長してきた。秋になると柿の実が食卓を賑わし、祖父母や父が柿を美味しそうに食べていた光景は今でも思い出すことができる。幼いときの私には、柿が身近にあり過ぎて美味しさや有り難さを感じないで、好んで食べることはなかった。そして時が過ぎ、柿を美味しく食べるのは祖父母や父から義兄と夫にバトンタッチされたが、今でも柿の木は秋になると甘くて美味しい実をつけ続けてくれる。 

2021-12-21


柿もぎの役割も祖父、父、義兄の順に交代していった。最近では鳥も柿の美味しさを知ったのか、色づいた柿をいち早く見つけて狙うようになってきている。都市化が進み、鳥のえさになる木の実が少なくなってきたのが理由なのかもしれない。今では鳥との競争をしながら義兄が収穫時期を見計らって柿もぎをしてくれる。私はというと、収穫の手伝いもせずに柿をもらって食べているばかりである。子供の頃とは違って、私も柿を父と同じように美味しく食べるようになった。毎年柿もぎの手伝いをと思ってはいるのだが、義兄の「柿が大好きだから、大丈夫だ!」の言葉と共に、段ボール箱に用意された柿をもらって食べているだけである。義兄の「柿が大好きだから、大丈夫だ!」の優しい言葉と共に食べる甘い柿も、来年の秋まで待つことになるので淋しく感じている。


この夏、実家の柿の木を見上げていると「柿の木も年をとったのかな?木の上のほうは葉が無いの!」と姉が教えてくれた。視線を上げると確かに葉が生い茂っているが、上の方は葉がなく枯れ枝のような部分だけがあり、青空をぽっかり覗くことができた。下の方には、たくさんの葉と実があるのに、不思議な気がしていた。しかし柿の収穫も終わり、葉も落ちて幹や枝だけになった古木のような柿の木を見ていて、ふと思ったことがある。もしかして、柿の木が他界した父や母が空の上から私たちの様子がよく見えるようにと、柿の木が樹冠部分の葉を無くしてしまったのかもしれないと思うようになった。それは、姉夫婦に2人目の孫が生まれたことに関係しているのかもしれない。コロナ渦で心配の種は尽きないこともあったが、新しい生命が誕生し、姉たちを始めみんなの幸せを少しでも空から見えるようにと、柿の木が葉を少なくしてくれたのだと思った。きっとその幸せで明るい時間を、父や母もそして祖父母も見守ってくれている気がしている。そしてそう信じている。

 

今年も残すことあとわずかで新しい年を迎えることになる。行く年を惜しみながら新しい年に希望を馳せ、たくさんの思い出のある実家の柿に見守られながら年末を過ごそうと思っている。(7期:金子)

 

 

【Kissの会 第121回投稿】  「『継続は力』を信じて」

2021-06-21

  

「規則正しい生活」を過ごすためには、「バランスのとれた食事」「適度な運動」「十分な休養・睡眠」が求められる。規則正しい生活を送ることで心身共に良好な状態が保つことができる。しかし、実行するとなるとそう簡単なことではない。日々の生活を振り返ると三原則のなかでも「適度な運動」が一番の問題点であり改善を要する点でもあった。コロナ渦では、電車に乗ってどこかに遊びに行くことや、ボランティア活動での外出もままならず、日常でのこまめな活動量が減少してきていた。

小学生の時から速く走ることも長距離も苦手で、スポーツ全般が得意ではない私にとって、「適度な運動」を生活のなかに取り入れることは正直容易なことではなかった。そこで、ウォーキングと共に昨年の春から始めた午前6時25分からの「テレビ体操」は既に1年以上継続している。

 

朝カーテンを開けて朝日を浴びていると、時には小鳥の囀りまで聞こえてくることもある。春には鶯の鳴き声まで聞くこともでき、早起きは三文の得と称して、我が家から見える風景と鳴き声を動画で友人に送ることができた。テレビ体操の深呼吸で清々しい空気をたくさん吸い込んでいると、肺だけではなく心まで元気になるような気がしてきている。生活習慣病や生活機能低下の予防のためにも、季節の花を楽しめるウォーキングとテレビ体操は私にとっては継続ができる運動習慣となり、「フレイル」という言葉が少し遠ざかってきているように感じている。 

 

「春から秋まで」の季節はテレビ体操をポジティブに捉えることができたが、冬になると日の出の時間が6時半を過ぎ、カーテンを開けても朝日を浴びることもできず、日の出直前の時間は最低気温帯なので正直寒く、「さぼりたい」が心の中に芽生えた。なぜか私の心に「さぼりたい」が芽生えた時に限って、夫が「今日も体操だ!」と声をかけてくれる。勿論逆に私が「今日も体操だ!」と声を出すことで夫の気持ちを奮い立たせることもできているようである。

昨年の暮れ「1月1日もテレビ体操はあるのかな?」と夫が聞いてきた。放映がなければ寝坊ができると思う気持ちは二人にはあったが、「1年の計は元旦にあり」の諺があるので、午前6時25分には体操ができる準備をして待つことにした。やはり放映が始まった。ところがいつもと違い「新春テレビ体操」(右写真)と題され、指導者3人・ピアノ演奏者3人・体操アシスタント7人の計13人勢揃いの豪華版のテレビ体操が始まった。身体を動かしていると自然と365日毎日休まず放送してくれるテレビ体操を応援したい気持ちになった。

そして季節は冬から春となり、日の出の時間も早くなりカーテンを開けて朝日を浴びると幸せホルモンである「セロトニン」の分泌量も増加してきて気持ちも前向きになってきている。正直三日坊主で終わるかもしれないと思ったテレビ体操が、一人ではなく夫と行っていることで、習慣化してきている。正直さぼりたい気持ちがあった時も、夫の「今日も体操だ!」の声に励まされ、コロナ渦で気持ちが沈みがちな時でさえ、体操をした後の爽快さで気持ちが明るくなる。そして、高校時代の友人との体操教室が再開したときに、笑顔ともに1時間半の体操ができるように「継続は力」を信じて春から夏のテレビ体操を続けていきたい。(7期生 金子)

 

 

【Kissの会 第110回投稿】  「書道 一歩ずつ」

                                                                                                2020-12-21

 

ほぼ半世紀ぶりに本格的に筆を持ち、「書道Ⅰ」の教科書を用いて書道の世界を楽しんでいる。先生は元書道の教員、生徒は元養護教諭と私の二人。縁あって一時期同じ職場で仕事をした関係で、退職後のひとときを三人で書道を通して楽しい時間を過ごしていた。ところが新型コロナウイルスの影響で、講座修了後の「おしゃべりタイム」を楽しむことはできなくなった。しかし今まで以上に硯に向かった時に感じる墨の香りを楽しむことはできる。墨の香りは、先が見えないマスク生活に折れそうな心を優しく癒してくれる。現役の時、書道室の前を通るたびに墨の香りが「今日も頑張ろうね!」と話しかけてくれているような気がしていた。墨の香りはいつも私の心を励まし癒してもくれる、大切な香りである。 

退職してから始めた書道は、わかりやすく丁寧な指導のおかげで、楷書・行書・草書・隷書・篆書・変体仮名まで駆け足ではあるが学ぶことができた。昨年は「顔真卿 王羲之を超えた名筆」に足を運ぶ機会があり、字の持つ美しさを鑑賞すると、書く難しさが私の中で大きくなってきた。自分の個性や感情を表現する書道に近づくことはできないが、諦めずに字が持つ雰囲気を大切にして書道を続けている。

 

そして10月からは、楷書の古典として有名な欧陽詢「九成宮醴泉銘」(左下写真)の臨書に本格的に挑戦することになった。今までは先生のお手本を真似て書いていて、「書道Ⅰ」の教科書は机の上に置いておく程度であった。しかしこれからは、学びの第一歩である名品と呼ばれる古典の筆跡を、自分の目で見て真似て書かなければならなくなった。いやはやハードルが高すぎると思っていると、先生からは「私が書いた字は私が見た字であって、金子さんが見た字ではないのよ!」との指摘があった。それは理解できるが、初心者の私には字の小さいものをそれなりの大きさにして書かなければならないだけでも高すぎるハードルである。ちょっとだけ先生のお手本を見て字の大きさを頭に入れてから臨書することにしている。

欧陽詢「九成宮醴泉銘」の筆跡を見ていると、刀を折ったような入れ方で筆を入れているせいか、鋭さと冷たさも感じられるが、字全体を見るとまるで春のような温かい風が吹いてきているかのようである。温かい風がどこからきているのかを考えてみると、筆で書かれていない白い部分がゆったりと存在しているのが原因なのかもしれないと思えた。筆で書かれる黒の世界ばかりに注目していたが、白い世界があるから筆で書いた字が引き立つことに気がつくことができた。私の書道は一歩ずつの歩みであるが、これからも古典と向き合う時間がもたらす心のゆとりを墨の香りと共に大切にしていきたい。

 

今年は「三密・コロナ禍」のようにコロナに関するいろいろな言葉が生まれたが、来年は平和な言葉が生まれる1年でありますようにと、そして義父母と共に15人が笑顔でクリスマス会や新年会ができるような日々が早く来ることを願いながら、新しい年を迎える準備を少しずつ始めることにした。                   

                                                                                                                                                                (7期) 金子

 

【KIssの会  第99回投稿】  「かわらない日々だと思っていたら・・・」

 2020-07-11

東京・渋谷のPARCO劇場が新生オープンし、1月24日から2月20日にかけて志の輔落語~PARCO劇場こけら落としが開催されていた。2月1日は、チケットがとれない落語家として有名な立川志の輔師匠の公演を夫と楽しんでいた。志の輔師匠自ら三番叟を舞うことから始まり、創作落語「メルシーひな祭り」、古典落語「八五郎出世」、PARCO劇場こけら落としについての話まであり、あっという間に時間が過ぎていた。笑いで脳の働きは活性化し、酸素はいつも以上に体内に取り込まれ、今年もかわらない1年が始まっていると思っていた。しかし甘く考えていたようである。あっという間にマスクやアルコール消毒液などが店頭から消えていき、私の手帳に書いてあった予定も消えていく日々が始まった。


3月から高校時代の友人の指導で体操教室を始めることにしていたが、身体を動かすことより口を動かすことが多くなりそうなので、延期となった。予定はどんどん消えて、夫の仕事が自宅待機になった頃から、規則正しい生活のリズムと体重維持(本音はダイエット)のために、6時25分からの「テレビ体操」を始めることにした。雨の日には散歩は不向きだが、部屋での体操なら天候とは関係なくできる。やり始めてみると、曜日によって体操の内容が少しずつ違っていて、飽きずに身体を動かすことができる。夕方は録画をした「ラジオ体操第一&第二」「みんなの体操」「リズム体操」で一日の疲れを吹き飛ばすことにした。鎌田實医師実践の「かかと落としとスクワット」も取り入れると、1日25分の体操でも運動不足の解消になった。1日25分の体操を続ければ、1週間で175分(約3時間)となり、1ヶ月で12時間にもなる。高等学校の体育の単位数は2~3単位なので、高校生と同じくらいの時間を運動することになると思うと、モチベーションが上がってきた。

 

食事も私のモチベーションを上げてくれる一つである。ストレスがたまった時は「ハンバーグ」を作ることにしている。無心で玉葱のみじん切りをして挽肉をこねると、不思議と心が晴れてくる。特にこねる調理過程は幼児の粘土遊びと同じなのかもしれないが、集中することができるので心が少し軽くなる。さらに精神的疲労やストレスを和らげる香辛料「ナツメグ」の香りと焼いたときの食欲をそそる匂いが、私の心を晴れさせてくれる。トマトソースたっぷりの煮込みハンバーグが好きな夫にも、笑顔が溢れてくる。一挙両得のハンバーグが完成すれば、私のモチベーションもさらに上がってくる。

先日、中学時代の友人である香代ちゃんと電話でおしゃべりをしている時に、「テレビ体操」が話題になった。友だちは放映時間に合わせて、1日3回から4回の体操をして生活のリズムをとっていると言っていた。呼吸器の弱い友だちとは、まだまだ物理的な距離を縮めることはできない。6時25分からはテレビ体操で同じように運動しているので、心の距離は縮めることができていると思う。今は、電話でおしゃべりを楽しみながら口の運動をしているが、いつかはマスク無しで逢うことができる日がやって来るはずである。便利すぎたコロナ前の生活からみると不便を感じてしまうことが多いが、「新しい生活様式」を心がけながら、心と身体をリフレッシュさせる日々を過ごしていきたい。 (7期生:金子)

 

 

【Kiss会 第89回投稿】      「かわらない!」

  2020-02-21  

 

「立春」待ち望んでいた春がやってきた。いつになく寒さを感じることもない冬が過ぎ、春を迎えることができたと思っていたら、今季最強クラスの寒気が南下し、厳しい寒さに見舞われた。1月末に訪れた京都では、「例年なら寒いのですが・・・」の声ばかりを聞いた。寒くて芯から冷えてしまうこともなく、貴重な非公開文化財の特別拝観を楽しみ、贅沢な京都を満喫することができた。妙心寺発祥の塔頭である「玉鳳院」の白梅も満開を迎えていて、一足早い春も感じることができる旅になった。 

京都で寒さを感じなかったのは、気温だけではなく人間ドックの結果が原因かもしれない。例年なら10月から11月には受診する人間ドックが、予約の関係で年明けの1月8日になってしまった。年末年始は暴飲暴食に走らないように、体調管理には気を配ろうとした。しかし、夫の実家での新年会では姪の作った餃子を「美味しい!」の声で、14人が200個を完食してしまった。その結果、私の体重だけは大きく変化したまま、1月8日がやってきた。 

人間ドック当日は、ベルトコンベヤに載せられたように、次から次へと検査室を回り、視覚聴覚・心肺機能・身体計測・超音波検査などが実施された。心配していた体重測定もかろうじてセーフ、問題は血圧測定だ。鼻から息を吸って口から大きく吐き出しても、椅子の高さ調整をしてもらっても、血圧は上がることはあっても下がらない。血圧測定がスムーズにいかないのは例年通りだ。白衣性高血圧に加えて内視鏡検査のことを考えていれば、血圧が下がらないのは仕方がないと諦めていると、悩みの種である胃内視鏡検査の順番がきた。 

 

先生からは「飲み込み方が上手ですね」と褒められたが、「やっとのことで終了した」が正直な気持ちだ。あとは日本整形学会で提唱している「ロコモ度テスト」のみとなった。「立つ」「歩く」といった機能(移動機能)が低下していないかのテストである。下肢筋力を調べる両脚、片脚での立ち上がりや、歩幅を調べるステップテストでは、大股で歩くことを心がけていたせいか、すべての項目をクリアすることができた。

そして、すべての検査が終了し待っていると、夫と検査結果の説明を聞く時間がきた。緊張した私たちに「特に大きな問題はありません」から始まり、丁寧な結果説明があった。説明を聞いている時に「かわらない」という言葉が頭の中をよぎった。逆流性食道炎や血圧やコレステロール値に問題はあるし、仕事をしていたときは元気だったとぼやくこともある。しかし、かわらない日々を過ごすことが出来ていることも確かであり、本当に感謝の言葉しかない。

 

待つこと2週間、検診結果が郵送されてきた。検査結果の説明を聞いていても検査成績表をみるまでは心配であった。大きな指摘項目もなく、心の重荷が少し軽くなった気がした。軽くなった気持ちと共に「そうだ、京都いこう」の謳い文句に誘われ、二人の世界を広げるために令和3回目の京都に出かけた。(7期 金子) 

 

 

【Kissの会 第79回投稿】 「水道水が家庭に届くまでを見学してきました!」

 2019-07-21

 

さいたま市の水道だよりに、「水道施設見学会 ~水道水がご家庭まで届く過程を見学しませんか~」との記載があった。蛇口を回せば潤沢に水道水を使うことができるが、どのように私たちの家庭に水が届くのかを知りたいと思い、早速夫との連名で申し込むことにした。申し込み多数の場合は抽選と小さく書いてあることには多少の不安も感じたが、結果は抽選にもれることもなく「参加決定」の通知が舞い込んできた(写真左:さいたま市水道局)。

 

見学会は6月7日に実施された。当日はさいたま新都心駅のけやき広場に40人近くの人が集まっていた。見学会は残念なことに雨が降り始めてしまったが、県営大久保浄水場とさいたま市水道局施設(配水場、水道総合センター)の3箇所が予定通り実施された。最初に訪れたのは「県営大久保浄水場」である。ここは、荒川の水を受水し私たちの生活を支える水道水にと清浄してくれる場所だ。取水から始まる一連の浄水の仕組みをビデオや実験を通して、塩素や凝集剤による水の濁りの除去や砂と砂利による濾過の仕組みが説明され、川の水から水道水がどのように作られているかを学ぶことができた。

 

天気が良ければ施設の屋上から富士山も眺めることができるはずであったが、雨の中ではフロック形成池や急速ろか池等を眺めるだけであったのが残念であった。次に見学した場所は、「東部配水場」である。浄水場からの水道水を受水して、一度配水池に貯め圧力を加えてそれぞれの家庭まで水を送ってくれる配水施設である。水圧があるから、それぞれの家庭まで効率的に水が送られることも理解できた。勿論、水圧の変化が起きないようにコンピューターでさいたま市内の浄水場や配水場全てを集中管理していた。そこでは、さいたま市の水道は約88%が川の水から作られた水道水で、井戸水もブレンドされて配水されているとの説明があった。 


最後に訪れたのは「水道総合センター」である。そこでは、災害対策用品が保管され、その中には製造日より5年間保存可能な「さいたまの水」も備蓄されていた。また非常災害用井戸も設置されていて、阪神・淡路大震災を教訓に様々な工夫がされていたのに驚かされた。荒川の水源から始まり私たちの家庭の蛇口までの水質を検査する水質管理課もあり、様々な分析機器を使って水質検査を行っている様子も見学することができた。

 

今回の3箇所の見学場所を通して水道水が家庭に届くまでの過程を理解することができただけではなく、安全で良質な水を作り出すためには、多くの人の力と科学の力があって、私たちのところに届いてくれていることを知ることができた。今年の水道週間のスローガンである「いつものむ いつもの水に 日々感謝」そのものを実感することができた。蛇口を回せばでる水を大切に使う気持ちを忘れずに日々の生活を送っていきたい。蛇口を回せば出る水をこまめに取り入れながら、熱中症に気をつけながらこれからの暑い夏を乗り切っていきたいと思う。

 

そして、今回のような夫との共通の体験や経験は二人の世界を広げてくれる。次は金沢への旅を通して、どのような世界を広げられることができるか楽しみである。(7期生 金子) 

 

 

【Kissの会 第69回投稿】 「平成最後の年は 14人から15人へ」

                                                                                                       2019-02-11

 

結婚してから、夫の家族7人で新年を祝うことが多くなった。昭和が終わる頃には、甥や姪を中心に9人でクリスマスや新年を過ごすようになっていた。甥や姪が成長すると、それぞれの友だちと楽しい時間を過ごすようになり、9人で一緒に過ごす機会も少なくなってしまった。平成の半ばに甥の家族に女の子が誕生したことから、クリスマスツリーを囲んで11人で集まるようになった。さらにもう一人の甥の結婚や義父母にとっては曾孫の誕生もあり、昨年の夏には4世代14人で旅行を楽しむことができるようになった。 

そして、「平成」最後のクリスマス会と新年会は、姪と甥の子供の活躍により、例年以上に賑やかで楽しい時間を過ごすことができた。姪はクリスマス会にはたくさん餃子を作って待っていてくれていたが、「美味しい、もっと餃子食べたい!」の声と共にあっという間にみんなで完食してしまった。クリスマスには子供たちが好きな「ピザやフライドチキン、お寿司、クリスマスケーキ」など盛りだくさんだったのに・・・。優しい姪は足りなかったことを反省して、新年には200個も用意してくれていた。「こんなに沢山作ったのが初めてなので、味付けが心配」と話していたが、もちろん「美味しい!」の声で完食。おせち料理で一番大切なことは、家族の幸せを願って作ることなので、姪の作った餃子はおせち料理として十分に仲間入りを果たしていると思っている。 


新年会では、義父母にとっては曾孫の小学校6年生の僚那君と義兄が「ビンゴ大会」を計画してくれていた。僚那君は、司会をしたりビンゴカードを配ったりと進行役まで担ってくれ、いつにも増しての楽しい時間となった。その上、人一倍家族の幸せを願っている姪が、「平成」最後の年に結婚したことで、4世代15人で賑やかで楽しく過ごすことができた。平成最後の新年会は、15人での楽しい時間なはずなのに、リビングルームにある時計の針がゆっくり進んでくれなかったのが、ちょっと淋しい気がしたのは私一人ではないはずである。

 

「立春」を迎え、待たれる春がやってきた。広辞苑では「待つ」ことは人や時が来ることを予期し、願い望みながらそれまでの時間を過ごすことと書いてある。いつかは自分に合ったパートナーが現われることを願っていた姪にとっては、平成は願い望みながらの時間だったはずである。私は、残り少なくなった「平成」という時代を、優しい姪と大切に過ごしていきたい。(7期生)金子

 

【Kissの会 第58回投稿】 「そうだ旅行に行こう!」

2018-08-11 

「夏休みにはみんなで旅行に行こう!」と今年のお正月に甥から突然提案があった。大正生まれの90歳を過ぎた義父を先頭に、平成生まれの小学校4年生までの四世代の14人である。クリスマスやお正月に全員が集まることはあっても、14人での旅行は初めてのことになる。

 

まだ小学生だった甥たちと9人で旅行を楽しんできたこともあったが、いつしか甥たちも結婚し子どもが生まれ、それぞれの家族で旅行を楽しむようになっていた。しかし、今年は甥の力強い「旅行に行こう!」の一言で14人での旅行を計画することになった。夫と私は、働き盛りの甥や姪、クラブ活動等で忙しい甥の子どもたちと一緒に旅行ができたら嬉しいと思うが、日程の調整や義父母の賛成が得られるのか心配の種も生まれてきた。

 

先ずは、甥が祖父母(義父母)に旅行を誘うことから第一歩を踏み出した。グランドゴルフで汗を流し、元気にみえる2人だが、夏休みに一緒に旅行に行くことには決断が必要であったようである。初孫にあたる甥からの提案が功を奏したのか、祖父母からの承諾もあり14人の夏の旅行の計画が具体化することになった。

 

甥と義兄が、日程や旅行先の希望等を調整してくれたので、春には宿泊地や見学先も決まってきた。さらにドライブルートなど細部の日程が少しずつであるが決まっていった。将来は水族館で飼育員として働きたいと考えている小学生のために「水族館」も、夏は海で泳ぎたいと思っている中学生のためにも「海水浴」が盛り込まれていた。

 

義兄と夫の希望である「松本城」もしっかりと組み込まれていたのには驚きもあった。しかし、長男である義兄は周囲の人に気を遣ってばかりなので、義兄のささやかな希望も大切にしていきたいと思っている。一番大切なことは、14人で元気で楽しく旅行に行くことである。そして、私にも就職をして初めての夏休みに友人と訪れた松本城や旧開智学校を再び訪れることができるので、楽しみができた。

 

「お正月は14人みんなで義父母の家で会おう!」との言葉で集まるそれぞれの家族が、今年の夏は松本城を目指して集まり、笑って楽しい二泊三日の旅行を始める(7期生 金子)

 

【kissの会 第46回投稿】「ウォークラリーを楽しむ」

2018-2-11

ウォークラリーは、事前に渡されるコース図に従ってグループで進み、途中で与えられる課題を解決しながら、設定された規定の時間で目的地を目指していくレクレーションゲームである。渡されたコース図は普通の地図とは違い、目標物の交差点や分岐点だけを表した連続したコマ図から出来ている。「●」が自分自身の現在位置を、そして「→」が進行方向を表しているだけのコマ図は、距離も書いていないし、東西南北の向きも一定していないので戸惑うこともある。コマ図からの情報と周囲の状況を確認しながら歩いていくので、まるで暗号を解くようである。順位は「課題による得点」と「時間による得点」の合計で決まるので、急いで回って目的地に一番に着いたとしても、主催者が設定した時間との誤差が生じれば、「時間による得点」は低くなる。自然や文化財等が対象の課題も出題されるので、歩くことを楽しみながら、街の歴史や文化を学ぶことができるアウトドアスポーツの一つである。

  

そのウオォークラリーに初めて参加したのは、市の広報に「コース図を頼りに桜を愛でながら5km歩く」の募集があった時からだった。普段利用している駅での集合だから、迷子にはならないだろうと安易な気持ちで参加した。いつも歩いている道がコマ図で表すと別の道に感じられ、安易に考えていた気持ちが段々しぼんでいくのがわかった。歩みを進めると、いつも歩いている道が一本違うだけで、あまりにも景色が異なることに驚かされた。そして、コマ図を頼りに知らない道まで来たことに気がついた。その道は桜並木が続き、満開の桜の花びらが舞っていた。まるで疲れた私たち参加者に「頑張れ!」と応援してくれているようで、足取りが軽くなったような気がした。心地よい疲れと自分の住んでいる街の再発見があり、それからは機会があるとウォークラリーに参加するようになった。


今年最初のウォークラリーは「上尾」で行われた。上尾は江戸・日本橋から数えて5番目の宿場町から始まっているので、文化財も多く残っていると思い参加することにした。上尾駅東口を出発して、コース図に従って歩いて行くと中山道沿いに今でもひっそりと残る「氷川鍬神社」に着くことができた。さらに歩くと、京都御室寺の末寺である遍照院や春日神社等の多くの神社仏閣を訪れることができた。寒さでふるえながら歩き始めたウォークラリーも、いつしか太陽の力で心身共に暖かくなっていった。疲れた私たち参加者に太陽の暖かさが「頑張れ!」と応援してくれたので、自然と足取りも軽くなり参加者の顔も明るくなっていった。これからも、健康作りを兼ねてウォークラリーを楽しみたい。(7期生:金子)

 

【Kissの会 第35回投稿】  父と味噌汁

寒の時期に仕込んだ我が家の味噌は時間の経過と共に少しずつではあるが変化をとげていた。夏前の天地返し(味噌を上部と下部を入れ替えることによって、発酵が均一化され活発化する)からは、大豆の色は淡い褐色から濃い褐色に変わり、しっかりと米の形を保っていた米こうじがまるで花が咲き、今にも踊り出し始めるような状態に変化していた。見ているうちに、こうじを「麹」ではなく、江戸時代末期に日本人が作った国字である「糀」の漢字で表しているのが納得できた。味噌をさらに熟成するために冷暗所(私は冷蔵庫)で保管することにした。9月になったので、味噌が食卓を賑わしてくれるようになった証を確かめみるために蓋を開けてみることにした。その瞬間、味噌が持つ独特の香りが私の鼻をくすぐり始めた。発酵が活性化して色の変化以上に香りも深みを増していたのである。食いしんぼの私は、我慢できずに何が何でも口に入れて確かめたい気持ちになり、スプーンに少し取り、味わうことにした。まだ、塩味に丸みが若干足りないような気がしたが、時間が旨味を増してくれる発酵食品のありがたさに心から感謝した。これこそが手前味噌の世界だ!


今年の味噌の香りを楽しんでいたのに大失敗の記憶が甦ってきた。小学生高学年の時のことである。母と祖母そして姉がいたので、家の手伝いをする必要性があまりなかった(本当は、しなかったが正しい)。当然であるが料理をすることがなかったのに、ある日父の昼食を私が作ることになり、台所で悪戦苦闘している時の記憶である。母は、大根を向こう側にある顔までが見えるように剥いてから、細く切っていた。まるで、刺身に添えられている大根のつま(けん)のようであった。その結果、味噌汁の大根はとろけるような柔らかさになっていた。私は包丁を上手にまだ扱うことができなかったのに、無謀にも大根の味噌汁に挑戦することにした。大根は「マッチ棒」のような太さの細切りになった。千六本としては大成功であるが、母の切り方とは雲泥の差である。これ以上に細くすることもできずに、手の動きは完全に止まってしまった。その時、作戦変更とばかりに鰹節で丁寧にだしをとり、「マッチ棒」の太さの大根を煮ることから始めた。大根はやや透明感を帯びると同時に、独特の匂いを出すようになっていた。この匂いは、今なら抗酸化作用も抗がん作用もあり大事だと思うが、その時は特有の匂いを消そうとして味噌を溶き入れ完成させてしまった。大根が柔らかくなる前に加熱を止めてしまったのである。

 

父と二人だけの食卓に、どうにか「大根の味噌汁」をならべることができた。煮物の残り物や目玉焼きを添え、父と食べ始めることができホッとしていると、味噌汁の大根はしっかりとした歯ごたえを残したままであった。大根の歯ごたえ以上に、私の心の中は音をたてながら、がちがちと固まっていくのがわかった。その時、寡黙な父が「節子が作る料理は美味しい!」と突然言い始めた。母の味噌汁に近づけなかったことに悔しさを滲ませていたのがわかり、慰めだったのかもしれない。でもその言葉は、固まった心を温かく溶かし始めてくれたことは確かであった。

 

今年の味噌の香りは、幼いときの記憶だけではなく、父の気持ちまで思い出してくれた。母や姉と同じようにはできないが、小さな手で大根を薄く剥こうとしている姿を大事にしてくれていたのである。父の一言があり、当時の「暮らしの手帖」を見ながらお菓子や洋風のおかずを作るように変わっていた。そして小学生の時には想像もできなかった「家政学部」への進学を決めることになったのも、父の言葉があったのかもしれない。食欲の秋になったら夫だけではなく、姉の家族や義父母達の家族にも味噌を食してもらい、香りや味を楽しんでもらいたいと思っている。(7期生 金子)

【Kissの会 第25回投稿】「春 私の一歩」

声かけ運動

公共交通機関と自分の足での移動が当たり前になってくると、街中にある点字ブロック(視覚障がい者誘導ブロック)がとても気になってきた。さらに、盲導犬をつれた方がホームから転落されるという悲しい報道や駅での声かけ・サポート運動の推進もあり、駅や街中での安全について考えるようになった。

そのような時、さいたま新都心で小学生達にバリアフリー学習やまちの案内をするボランティア活動に積極的に取り組まれている方から、「視覚障がい者擬似体験をしてみませんか?」と誘われた。駅や街中の安全について関心が高まっていたので、私も体験をすることにした。アイマスクをつけて目が見えない状態を体験するプログラムには色々あるが、今回はアイマスクをした体験者が、前にいる人の肩に手を乗せ一列になって歩く方法であった。もちろん先頭の方はアイマスクもつけてはいないし、ガイドヘルプ役としての経験もあり、体験を見守るサポート役の人もいて心配することはないはずなのに、体験者5人の顔に不安の気持ちが表れてしまったようであった。

さいたま新都心

ガイドヘルプ役の「不安な気持ちはわかりますが、声は出さないでください。出発しますよ!」の合図で、さいたま新都心けやき広場の1階部分を縦一列になった体験者は歩き始めることになった。どこを歩くかわからない私たち5人は、自分の持っている感覚を研ぎ澄まして、自分の手が前の人の肩から離れないようにして歩いた。耳、鼻、肌に感じ取ることができる風や、足裏から感じる感触を頼りに、そして前の人の肩に手を乗せながらの歩きはとても長い時間に感じた。まっすぐ歩くだけではなく、蛇行をしながらでは手が肩から離れそうになり正直怖さも覚えるようになっていた時、やっと立ち止まることになった。

「次は、一人一人が白杖を頼りに点字ブロックの上を歩きます」の指示があった。「えっ、どこを歩いているかわからなくなっているのに一人で歩くの?」と思ったが、歩かなければ終了しないので、白杖から伝わる感触を頼りに点字ブロックの上を歩くことにした。サポート役の方の見守りがあってではあるが、手すりのあるところまでそれぞれが到着するまでには、時間を要した。

「全員の方の体験が終わりましたので、アイマスクを外してください」の声で外すと「えっ、ここ?!」の大きな声があがった。それは、長く感じていたこともあり、かなり遠くまで歩いて行ったはずだと思っていたのに、半径50メートルの範囲で移動していただけの驚きであった。今まで声を出すことを禁止されていた反動からか「えっ、2階に行っていなかったの?」「風と車の音で外に出たように感じた」「前の人の肩だけが頼りだった」「白杖でまっすぐ歩くのは難しかった」「人の声がいつもより大きく聞こえた」などそれぞれの感想があった。

今回の視覚障がい者擬似体験は、視覚障がい者の人たちが生活や外出する際にどのように大変な思いをして行動しているかを少しでも知ることができればという目的であった。何が不便で不安なのか、何が怖いか、どうすれば安全に目的地まで行くことができるか等までは、限られた時間の体験から学ぶことは難しい。体験することは知識だけではなく身体から理解をすることはできるが、一歩先に進めただけであることを決して忘れてはいけないと強く感じた。

「視覚障がい者擬似体験をしてみませんか?」の言葉に誘われた私は、肩の温もりやしだれ桜の美しさに背中を押されてではあるが、さいたま新都心で地域の小学生にまちの案内やバリアフリー学習のボランティア活動の手伝いをすることになった。そして、誰でもが、駅や街が安全に歩けるような環境になって欲しいと願いながら、私は春から歩き始める。 (7期生 金子)

【Kissの会 第18回投稿】「14人の想い『今度はお正月に会おう!』」

義父は10月に90歳の誕生日を迎えることができた。大正・昭和・平成へとそして20世紀から21世紀の人生を謳歌している。そんな義父の3人の孫たちとのある日の会話の中で「おじいちゃんがいたから好き嫌いなく食べられることができる。イナゴも食べられるよ!」という内容であった。イナゴにまつわる話はイナゴ取りから始まり、台所の隅にあったイナゴが入った布袋の音や佃煮になるまであった。虫が苦手な私はまだ結婚して日も浅い時に、義母から「イナゴは栄養があるから食べるように」と言われ、「イヤです」と愛想もなく断ったことを思い出し、30代になった孫たちからの話にただ反省するばかりだった。そしていつしか「おじいちゃんの90歳の誕生祝いをしよう!」という内容に変わっていった。特別養護老人ホームや薬局等に勤めている働き盛りの孫たちや、クラブ活動等で忙しい曾孫たちも含めて14人が一緒の時間を過ごすことができたら嬉しいなという想いもあり、義父の誕生祝いの計画が暑い夏から始まることになった。

そこで、義父母に孫の一人が相談すると「昔から長寿の祝いをしてもらうと、すぐに亡くなってしまうと言われているので遠慮したい」との返事があった。「お祝いをした結果、早くに亡くなってしまったら・・・」と悩んでいると、孫たちからの優しい想いを大切にするためにs_p1010712「義父の誕生祝いからクリスマス会にする計画」への変更の提案が義父母からあった。例年はリビングに飾られたクリスマスツリーの下でのクリスマス会を、お出かけのクリスマス会にするということであった。「クリスマスケーキは食べられるかしら?」と唐突な質問もあったが、義姉の「ケーキはお正月に食べることにしよう!」の一言で無事解決することになった。曾孫の3人も小学生になり外での食事を楽しめる年齢にもなり、8歳から90歳までの14人で楽しい時間を過ごすことができるクリスマス会へと変わっていった。全員が楽しく過ごすことができ、小学生の3人にも貴重な経験ができたらとの想いから、それぞれがレストランのパンフレットを見て何を食べようか考えたり、私は下見に行ったりするなど当日までのワクワク感は今までとは異なる不思議な高揚感をもたらしてくれた。

12月10日の一足早いクリスマス会は、風邪をこじらせてしまい大きなマスクをした孫のお嫁さんもいたが、普段より少しだけおしゃれをs_pc240388した14人が揃うことができた。クリスマス会(義父の誕生祝い)の主役は、始まると直ぐに義父から「餃子をもっと食べたい、胡麻団子もう1つ食べても良い、やっぱりエビチリが食べたい」等と話す小学校2年生・4年生・6年生の曾孫たちに移ってしまったが、義父母の嬉しそうな顔を見ているだけで私たちも幸せな気持ちで満たされていった。90歳を頂点にした14人は好きな食べ物は違っていても、想いを一つにできる大切な時間として共有することができた。クリスマスプレゼントの交換もあり、小学生の3人は満面の笑みで包まれていた。そろそろ会もお開きの時に、義父から「今日はありがとう」の感謝の言葉とともに義母との結婚から始まり、息子2人を苦労しながら育て上げた話があった。義母や息子たちはちょっといつもの話かなと思いながらいると、孫夫婦や曾孫たちが義父の目を見ながら真剣に聞いている姿があり、家族の中で暮らす大切さを考えさせられた。

クリスマスは、イエス・キリストがすべての人と人を一つにするためにこの世に来られたことや人々の間に愛を宿らせたことを祝い記念する日であることも知らないが、「クリスマス」という言葉で義父の誕生祝いが実現できたこと、心がいつもより温かくなったことに感謝することができた。そして「お正月は14人みんなで実家である義父母の家で会おう!」との言葉と共に、それぞれの家路に向かった。(7期:金子)

【Kissの会 第11回投稿 】「パークゴルフ in 北海道」

dsc_0138パークゴルフは、1983(昭和58)年北海道帯広郊外にある幕別町でコミュニティスポーツとして始まった。クラブでボールを打ち、カップインするまでの打数を競い合いながら楽しく遊ぶことができるので、3世代スポーツとしても北海道民の間では広まっている。ゴルフよりも手軽に楽しむことができ、もしかすると私でもホールインワンを経験することができるかもしれない等、魅力満載なスポーツである。ゴルフとは無縁の人でも1打でグリーンに届くホールもあり、さらにカップが大きいのでホールインワンのチャンスが芝の下には隠れている。ルールもシンプルで手軽なパークゴルフを初めて楽しむことができたのは、10年以上前の北海道旅行であった。パークゴルフと温泉をセットにしながらの旅は、心躍る思い出として私の中に残っている。

そこで思い出のパークゴルフを久しぶりの北海道で楽しみたいと考えていた。しかし今夏の記録的な大雨と台風のために、予定した幕別町でのパークゴルフは実現できなかったが、好天に恵まれた札幌の奥座敷と呼ばれる定山渓では楽しむことができた。普段はゴルフを楽しんでいる夫とスポーツ苦手の私とのパークゴルフ対戦は、定山渓で幕が開けられた。対戦中には、「ここは、あのdsc_0136ネットに当てる気持ちで打てればグリーン近くに寄せられる!」「グリーンには優しく乗せる気持ちで!」「あっ弱い、傾斜を読んでもう少し強めに打とう!」等々適切でかつ無理なアドバイス付きであった。アドバイスがそのまま私のスコアに反映しないせいか、最後には「頭を使って」で締めくくられ完全に落ち込んでいった。さらに腕は虫に刺されかゆくなり、放り出したい気持ちがMAXになっていった。その時に夫の優しい「もう1コース」があり、今度こそはホールインワンが待っていると信じて対戦することにした。コンパクトなスイングの夫は普段のゴルフよりスコアは良かったのかもしれないが、ここは夫の名誉のために聞かないことにした。勿論私のスコアは散々であったが、二人の笑い声とボールを打つ音だけはグリーンに響いていった。池が無いので「ぽちゃ」という音が聞こえてこなかったのは幸いなことであった。楽しく遊ぶことの三要素である時間・空間・仲間がパークゴルフには存在することを実感することができた。さらに気持ちの良い汗を流すために近くの小金湯温泉も楽しむことにした。1世紀以上の歴史を持つ小金湯は、硫黄の香りに包まれた無色透明の湯で、スコアの悪さも虫からのかゆみも忘れさせてくれ私に心地よい恵みを与えてくれた。

今回の旅行は予定通りとはいえない部分もあったが、夫の両親や私の姉たちが帰宅した時には、いつも以上にホッとした顔で迎えてくれたことが予定通りだったかもしれない。来年はパークゴルフin幕別を楽しむことができることを願っている。(7期生 金子)

【Kissの会 第5回投稿】「36年目の弁当」 

P4150096 結婚して初めて作った弁当は「鶏手羽先チューリップ揚げ弁当」だった。チューリップに見えるように張り切って作った弁当でさえ、私も夫も遠い思い出となりつつある。副菜には卵焼きやサラダが添えられていたのかもしれないが、何を添えたのかは思い出すことができないでいる。ただ、鮮明に思い出すことができるのは空になって戻ってきた弁当箱だけである。

結婚した当初はボリューム重視であることが夫から求められていたが、今では魚や煮物が中心の生活習慣病予防を考慮した弁当に変化してきている。もちろん、健康を考えることだけではなく、味や食感そして色味のバランスにも配慮することは大事である。しかし、私は完璧さを求めずに、継続して弁当を作ることだけを考えることにした。無理をせずに昨夜のおかずが詰まっていてもOKとし、作り続けることにした。手抜き弁当の時もあったが、違う職場で食べることによってお互いを思いやることのできる時間を共有することができた。「何から食べ始めたのかな?」とか、「今日のおかずは大好きなものばかり!」などである。考えているだけで、まるで一緒に食べているような気持ちを持つこともできることができ、弁当は不思議な力を持っていた。

P7080147 そのような二人にも、小さな誤解から些細な喧嘩をした日もあった。その時でも弁当だけは作ることにしていた。もちろん、弁当は私の気持ちを伝えることになるので、栄養学無視の問題満載の弁当であった。しかし、食べることで二人の気まずさも自然と洗い流してくれた。いつしか弁当は私たちに話しかけてくれるようになり、いつものように空になった弁当箱と夫の笑顔が戻ってきてくれた。弁当は私たちの間を結びつけてくれる大きな力を持つようになり、お互いの心の健康管理までしてくれるように成長していった。

夫は4月から母校で再び教鞭を執ることになり、私は36年目の弁当作りをすることになった。ゆっくりと二人の人生を歩んでいくために、弁当に助けてもらいながら健康管理を続けていきたいと願っている。 (7期生:金子)

始業の祈り(立教大学チャペルにて)

チャペル (立教大学諸聖徒礼拝堂)

チャペル
(立教大学諸聖徒礼拝堂)

朝8時半から始まる礼拝は、パイプオルガンの演奏から始まります。聖歌を歌い、チャプレンからの聖書の朗読、講話を聞くことができます。講話は、素直に受け入れられる時ばかりではありませんでした。自分自身の未熟さに悩み、恥ずかしさを覚えたこともありました。しかし祈りを通して、私の気持ちは不思議と穏やかになることができました。 

木曜日は、講話が「学生は語る」になり、学生の体験に基づいたメッセージは、いつも私を励ましてくれたことを覚えています。週に1回、1限に全カリの授業がある時だけの礼拝の出席でしたが、あと何回出席できるのかなと考えると、正直寂しくなります。それは、チャペルが信徒でもない私を温かく包んでくれ、たいせつな場所となったからです。

チャペル外観

チャペル外観

教え子と同じキャンパスを歩き、学ぶことができた立教の生活も、残り少なくなってしまいましたが、これからも自分らしく歩んでいこうと思います。(7期生 金子)

書道との出会い

【投稿日:2015-11-17 最終更新日:2015-12-10】

 RSSCへの入学と並行して、書との再びの出会いをした。高校で書道を教えていた先輩を講師として、10年前に職場が一緒の方と書を始めた。書の学び方には沢山の方法があるが、高校生が使っている「書道Ⅰ」の教科書を用いている。

PA270181

書道のお道具

古典から学ぶということで臨書から挑戦している。作者が生きた時代に想いを馳せることができ、黒と白だけの世界を楽しむことができる。そしてそこから広い世界が見えるとともに、自分の気持ちまで見えるときでもあり、私にとって大切な時間である。

書道との大切な時間

書道との大切な時間

仲間との再会も私にエネルギーを与えてくれる大切な時間である。このエネルギーをもとに、いつかは「般若心経」を写経できるようになりたいと願いながら「再びの書」を楽しんでいる。
(7期生 金子)