Kitaharaの投稿

【Kissの会 第174回投稿】   「魔法の言葉」

2023-11-11

 

10月15日の「立教セカンドステージ大学同窓会ホームカミングデー」に、『アドラー心理学を実践に活かす』を受講した現役生・修了生が共に学ぶ同好会「RSSCあどらーカフェ」(顧問箕口名誉教授、代表8期青木さん、副代表12期五十嵐さん)の活動内容を、アドラー心理学のほんの一端(“魔法の言葉”)を紹介しながら、授業の中でも使われるロールプレイの手法で説明する機会を得ました。

 

アドラー心理学では、「困難を克服する力」を勇気と呼び、その為の活力を与えることを「勇気づけ」と言います。他者を勇気づける基本ワードとして、三つの“魔法の言葉”があります。「ありがとう」「嬉しい」「助かる」の三つです。但し、この“魔法の言葉”は、使わないと錆びついてしまうともいわれます。また、「勇気づけ」は、ほめることとは異なり、感謝の気持ちを伝え、友好的に共感的に接する「ヨコ」の関係(対等な関係)に立つかかわりです。反対に、批判する(タテの関係に立つ)ことで勇気を失わせることを、「勇気くじき」と言います。

魔法の言葉を使った他者への勇気づけによる効果には、次の三つが挙げられます。(八卷秀著『定年後の人生を変えるアドラー心理学』より)

 

    ①信頼関係を築く⇒勇気づけをした相手とは良好な人間関係を

     築くことができる。

    ②劣等コンプレックスの克服⇒自己評価が低くなっているとき
     に自信を取り戻す効果がある。

      ③自律性を高める⇒結果にとらわれず自分ができることを考え
       て行動できるようになる


実際、自分の人生を振り返ると、何人かの「勇気を高めてくれた人たち」を思い出します。中でも一番勇気づけられ、助けられたと、今でも時々思い出すエピソードがあります。

 

大学を卒業し、金融機関に入社してちょうど5年目ぐらいの時だったと思いますが、長時間、分単位の時間に追われ、間違いが許されない職場環境で、数々のプレッシャーにも慣れてきたころでしたが、なぜか(今では理由をはっきりとは覚えていませんが)急に自分のやっている金融の仕事がいやになり、福祉関係や社会貢献の仕事に就きたいと考え始め、会社を退職し、学校で必要な知識を学び直そうと決意しました。

 

退職届が受理され後任も決まり、同僚からは送別会を開いてもらい、贈り物までいただきました。ところが、退職日が日に日に近づくにつれ、経済的にも、慣れ親しんだ職場を離れることにも、どんどん不安になり、退職日の2,3日前に、遂に「ダメ元」で、直接支店長に「退職を撤回することは可能でしょうか」と相談に行きました。すると支店長は開口一番に、「それはよかった。嬉しいよ。ありがとう。すぐに人事部長に撤回の手続きをしてもらう」と、全く予想もしていなかった言葉とともに、その場で人事部に電話をしてくれました。その時「助かった。嬉しい。今度こそ頑張ろう」との気持ちが自然と湧き上がってきました。

その後、約20年間、競合他社との合併で転職することになるまで、様々な困難を何とか乗り越えながら、精一杯勤務することができました。今では、この出来事を思い出すたびに、三つの“魔法の言葉”で、だれかを少しでも「勇気づけ」できたらと考えるようになりました。 

                                                                                       (7期 北原)

 

 


【Kissの会    第163回投稿】 「Be water (水になれ)!」

2023-05-11

今からちょうど50年前、私がまだ大学生のころに、アジア人で初めて一躍ハリウッドのスターとなった、甘いマスクの青年がいた。武術家で俳優の「ブルース・リー」である。彼が主役を演じた映画は、当時国を問わず世界各地の若者の間で大人気となり、私も彼の映画が公開されるたびに夢中になって観に行ったものである。その中で、やはり世界的に大ヒットした、『Enter The Dragon(燃えよドラゴン)』が、内容や武術の格闘シーン、そして映像の質の点でも最も優れていた。ブルース・リーの映画はどれも単純で分かりやすく、小柄な青年が、弱者を助け悪役の大男や外国人をカンフー(中国武術)で倒すという、正義の味方の「ヒーロー」が活躍する物語であった。彼の映画に触発され、空手を習い出したり、ヌンチャク(木製の武器)を買って真似たりする若者も、自分を含め少なくなかった。


そんな青春時代の「ヒーロー」の姿が、今年の2月にNHKのテレビ番組『映像の世紀―バタフライエフェクト』で “戻ってきた”。番組では特に彼の残した言葉「Be water, my friend.」に焦点を当て、彼の「生きざま」や「世界に与えた影響」が紹介された。ブルース・リーは、武術家・俳優として有名であったが、実は哲学者としての一面も持っており、幾つもの言葉を残したという。その中の一つ、「友よ、水になれ。」は、老子(道教)や宮本武蔵(五輪書)の影響を受けたともいわれるが、「水は器によって形を変え、手でつかむことも打ち砕くこともできず(自由で柔軟)、低きを求め流れるが(謙虚)、時には破壊的な力を発揮する(秘めたエネルギーを持つ)」ので、彼が追い求める理想の姿であり、武術を極める中から学んだ彼の人生哲学ともいえる。

↑ ブルース・リー像/香港

香港民主化運動/水革命(Water Revolution)とも呼ばれた)


香港では2019年に、若者を中心とした民主化運動が盛り上がったが、そのスローガンにこの「Be water」があった。指導者がいなくとも、当局から規制されても、衝突を避けながら、自然発生的にあちらこちらで運動が繰り返されたという。

 

また、1990年代に起こったボスニア・ヘルツェゴビナの激しい民族紛争が終結した後、2005年11月に、ボスニア南部のモスタルにブルース・リーの銅像が「民族和解の象徴」として建てられたという(右写真)。1970-80年代のボスニアの若者の中で大人気であったブルース・リーが、異なる民族の共通の「ヒーロー」として選ばれたという。アジアの一武術家が、その死後30年以上経たヨーロッパで再び「ヒーロー」となるとは、32歳で夭逝したブルース・リーは、想像したであろうか。                                                              (7期生 北原)

 

 

 


【Kissの会第152回投稿】 「Withコロナでの太極拳」

 2022-11-11

 

以前にも書いたが、「健康太極拳」が今の自分のライフワーク、生きがいになっている。日本健康太極拳協会(健康増進に役立つ「楊名時八段錦・太極拳」の普及を目指すNPO)にも所属しているが、過去2年ほどは主なイベントや活動がコロナ禍で中止となっている。 

 

普及を図る「楊名時太極拳」では、24式太極拳(24の型=套路からなる最も代表的な太極拳)の前半部分、第1式から第9式を『不老拳』と呼び、片足立ちやバランスのとり方が難しい動きがなく、初心者や高齢の方にも比較的無理なく楽しめる太極拳であると奨励している。また、後半の片足を上げる動作やより難度の高い動きを含む、第9式から第23式までの部分を、大勢で円(4重~5重の輪)になって行う演舞を『百花拳』と呼んでいる。上から見ると円が開いたり閉じたり、まるで花が開花するように見えるからである。この『不老拳』と『百花拳』を先日、久しぶりに百人を超える大人数で演舞する機会を得た。

 

東京における一日のコロナ新規感染者数は、ピーク時に比べかなり減少したとはいえ、一向に収束に向かう状況にはないが、経済を回す必要があるとの政府の判断もあり、外国人観光客の入国制限をはじめとする水際対策その他のコロナ感染予防措置や規制、行動制限が10月に入ると大幅に緩和された。各種の大型イベントも再開されているようである。

そんな中、「太極拳」関連でも、10月29日(土)には、太極拳全国交流大会が、3年ぶりに国立代々木競技場第一体育館で開催され、小学生から90歳代の高齢者まで、大勢の選手がマスク着用ではあったが、個人競技や団体競技に参加した。今年は日中国交正常化50周年の記念すべき年でもあり、また、2020年には太極拳がユネスコ世界遺産に登録されたというニュースもあって、大会関係者の熱意が開催につながったとのことであった。


この大会には、日本健康太極拳協会も、3年前まではおよそ400名前後の仲間が大会賛同団体として参加していたが、今年は139名と少数精鋭?ながらも、『不老拳』の演舞を精一杯披露した。楊名時太極拳は、誰とも競わず、比べず、心と呼吸を大切にゆっくりと動く「健康太極拳」が基本であるため、競技には参加せず、友情表演として、数分間の「お祝い演舞」を音楽に合わせ披露した。 


また、翌日の10月30日(日)には、今度は原宿駅近くの代々木公園で、楊名時太極拳の仲間内だけの行事ではあるが、木々に囲まれながら行う「青空太極拳」が、3年ぶりに開催された。公園には、ジョギングや、芝生の上でヨガ、歌、ダンス等を楽しむ多くの人の姿もあった。好天にも恵まれ文字通り青空のもと、おいしい空気を吸いながら、まず、24式太極拳をおよそ170人の仲間と共に演舞した。その後、全員で4重の輪を作り、『百花拳』を2回、動きをそろえて演舞した。足元の木の根っこに注意を払いながら、マスク着用と距離を取りながらの太極拳ではあったが、「漸く日常が戻って来た!」との実感が湧いた楽しいひと時であった。(7期生 北原)

 

 

【Kissの会   第141回投稿】  「太極拳の不思議」

2022-05-11 

 

以前にも書いたが、「太極拳」が今の自分の「ライフワーク」となっている。比べない、競わない「健康太極拳」を広めるNPOの活動に参加しながら、カルチャーセンターやジムにも通い、仲間との太極拳の“稽古“を楽しんでいる(マスク着用と間隔確保は必須)。また、毎朝20~30分、家の中でも太極拳の套路(型)を練習するのが、洗顔や歯磨きのように自然と身についた日課になっている。そんな「太極拳」中心の生活を、コロナ禍のここ2年ほど続けている。

  ※左写真出所:「明鏡止水~武のKAMIWAZA~」(NHK総合)

  

そもそも太極拳との出会いは、今から40年ほど前に遡る。新宿にあるカルチャーセンターの土曜教室で純粋に好奇心から習い始めた。当時は今と違い、太極拳を知る人は多くなく、知っていても中国のゆっくり優雅に動く単純な健康体操と思われていた。競技としての「武術太極拳」がTV放映される現在と違って、太極拳という名前から“拳法”を連想できても、そのゆっくりとした動きに、武術本来の攻防のエッセンスが秘められていることはあまり知られていなかった。空手の型が技の奥義や極意を秘めているように、「健康太極拳」の套路にも、独特な技の本質が多く秘められている。そこが筋トレや柔軟体操、或いはラジオ体操と大きく異なる点である。 

それではなぜ、ゆっくりとした太極拳の動きが武術と言えるのであろうか。その答えは、太極拳の聖典ともいわれ、太極拳の名前の由来となった理論書『太極拳経』(王宗岳著)に書かれている。その解説書『至虚への道』(二玄社、楊進著)によると、「自分の力を用いず、楽な姿勢で、相手の力を利用する」「相手の動作に自己の動作を絡めて(シンクロさせて)、相手より速く動かず、遅れても動かず、動作を緻密に制御する」「常に力と力のぶつかり合い(双重)を避ける」「自分に向けられた相手の力を少しだけそらせる」ことが太極拳の動きの本質であるという。この動きを習得すれば、非力なゆっくり動く弱者でも、力の強い速い動きの相手にも勝てるという。実際に“技”を習得できるか否かは別にして、物理の常識を否定するような『太極拳経』の理論、「以弱勝強」は大変興味深い。

太極拳経(写真)

大極拳(白文)

『至虚への道』


4月9日に放送されたTV番組「明鏡止水~武のKAMIWAZA~」(NHK総合、MC岡田准一)では、空手をはじめ、剣術、居合、太極拳の達人が招かれ、それぞれの型や技が「KAMIWAZA」として紹介された。特に空手と太極拳の違いは面白く、空手が直線的で速い動き、瞬発力と力強さが身上であるのに対し、太極拳は曲線的(円運動)でゆっくり動き、柔らかさ(力を用いない)が際立っていた。相手に軽く触れるだけで、相手が自ら体勢を崩し転んでいくのは、見ていて不思議であった。

 

毎日TVニュースで伝えられるウクライナの惨状を目にするにつけ、この太極拳の不思議な攻防理論が、国と国との力のぶつかり合いにも応用できればと、ふと考えずにはいられなかった。(7期生北原) 

 

 

【Kissの会  第130回投稿】 「簡単じゃない。だから楽しい」

 2021-11-21

 

緊急事態宣言が全ての地域で解除になる直前の9月21日に、新宿にある住友ビルの三角広場で行われた『アウトサイドde太極拳』というイベントに参加した。『アウトサイドde太極拳』とは「外に出て太極拳を楽しもう」との掛け声で、コロナ禍の前から始まっていた、NPOが行う健康太極拳普及活動の一環であった。

日本における太極拳の歴史は、日中国交正常化(1972年)より以前、今から60年ほど前にさかのぼる。1959年10月に訪中した政治家、松村謙三、古井喜実に、当時の首相周恩来が、「太極拳が両国の友好と日本国民のお役に立てるなら」と、武術家李天驥(簡化24式太極拳編者)を直接引き合わせたことに始まるとされる(李天驥著『太極拳の真髄』BABジャパン出版局/左写真)。松村、古井らの帰国後、武術家楊名時らにより日本での一般大衆への普及が始まった。今回のイベントも、日本における太極拳創始60周年を記念してのものであった。

 

会場は2,000人程度収容可能な全天候型の広いイベント施設であった。コロナ禍ということもあり、東京都の認証を受けた感染予防対策は厳重で、マスク着用、検温、手指消毒、ソーシャルディスタンス等が徹底していた。一年半以上前に計画された当初は、1,000人程度の参加者を予定していたが、今回、最大でも140人程度に絞ったとのことであった。広い会場でもあり感染リスクは抑えられ、久しぶりの集団での太極拳演舞は気持ちの良いものであった。また、会場にある大型スクリーンには、全国各地の仲間からの投稿動画が常時流れていた。リアルタイムの映像ではなかったが、一体感を醸し出すには充分であった。


久しぶりに大勢の仲間と太極拳を演舞していると、ふと、「太極拳を40年近くもよく続けられたものだ」との思いが頭をよぎった。仲間と一緒だと楽しいし、体を動かすと気持ちが良く、身体能力も維持できる。健康に良いと思えるから続けられたのであろう。しかし、よくよく考えてみると、本当は「難しいから、簡単でないから」続けられ、楽しめたのではないだろうかと思えてきた。

 

現在広く普及している「24式太極拳」は、套路(型)自体は週一回の稽古で半年から一年ぐらいで覚えられるが、動きに意識と呼吸を合わせ、力を入れず、ゆっくり時間をかけて演舞するとなると、なかなか難しい。長年、毎日のように演舞していても、一度として自分の動きに完全に満足できたことがない。必ず納得のいかない動きや改善点が見つかる。そして次はもっと満足のいくようにやりたいと思う。「難しいから続けられ楽しめる」というと何か逆説的であるが、本心からそう思う。仕事でも、勉強でも、そして趣味の分野でも、指導者や仲間の存在が大きいことは言うまでもないが、実は「簡単じゃない。だから楽しい」と言えるものが、本当に好きでやりたいこと、生きがいにもつながるものなのかもしれない。 (7期生 北原)

 

 

【Kissの会 第119回投稿】  「コロナ禍の散歩」

2021-05-21

 

4月25日に3度目の緊急事態宣言が、東京都及び大阪府など関西圏に発出された。その後対象地域が拡大され、多くの店舗や商業施設が休業し、個人にも不要不急の外出自粛が求められている。まるで時計が1年前に逆戻りしたような感がある。そんな先の見通せない「コロナ禍」にあって、運動不足解消と気分転換ができる「散歩」は、数少ない楽しみの一つとなっている。   

宣言前の4月中旬、片道40分の道程を、ツツジが満開でまさに見頃と聞いた根津神社まで、散歩の足を延ばした。神社に着くと、斜面一面に咲き誇るツツジが色鮮やかで、その期待以上の美しさには大変感激した。訪れる人の数も限られ、ゆっくり参拝を済ませた後の帰り道に、小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)にも、「久しぶりに立ち寄ってみよう」と急に思い立った。 

小石川植物園は、小学生のころから度々訪れていたなじみの深い植物園である。入園料(大人500円)を払い中に入ると、午後の遅い時間のせいか人影もまばらであった。入口で「ハンカチの木がまだ見頃」と教えられ、早速『ハンカチの木』に向かうと、思ったほど多くはなかったが、木に残るハンカチ状の苞葉で包まれた花を確認できた。

納得してハンカチの木を離れる際に、予期せぬ収穫があった。近くに『旧小石川養生所の井戸』を見つけたのである。TVドラマ『大岡越前』などで度々登場する『小石川養生所』が、今の小石川植物園の中にあったことは以前から知っていたが、その井戸が今でも残っているのに全く気がつかなかった。小石川養生所を舞台にした山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』が、『赤ひげ』の名で映画化され(三船敏郎主演)、TVドラマ化もされた(船越英一郎主演)が、井戸の出てくる場面も数多くあったのを思い出した。

さらに、横に立つ案内板によると、この井戸は大正12年の関東大震災の時には多くの被災者の飲料水(水質が良く量も豊富)として役立ったという。貧民救済を目的に、一町医者小川笙船による目安箱への投書が将軍徳川吉宗により取り上げられ設立された(Wikipedia)小石川養生所が、明治維新で廃止された後も、井戸を通して人々を救済した史実には何か運命的なものを感じた。 

また、目安箱の投書からわずか1年で、今の病院に近い無料の医療施設(当初40人、後に100人超収容)が開設されたのはまさに驚きである。1年以上たっても新型コロナに対する医療体制の充実・強化が進まない現在の状況と比較するとなおさらである。そう考えているうちに、町医者が活躍する『赤ひげ』をもう一度見たいとの衝動が湧いてきた。コロナ禍で奮闘する現代の医療従事者の姿と、小石川養生所で献身的に働いた江戸時代の町医者の姿をどこか重ね合わせているのかもしれない。(7期生 北原)

 

【Kissの会第108回投稿】 「Withコロナの新しい日常」

2020-11-21 

 

2020年も残すところ1ヶ月余りとなったが、今年を振り返ると最大の事件はなんと言っても新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)であろう。現時点でも、本格的な冬を前に感染の急拡大が各地で続き、ワクチンの開発が進んでいるとはいっても、このパンデミックの収束がいつになるか誰にも分からない。

 

一方、コロナとの共存・共生を前提にした「Withコロナの新しい日常」という言葉をよく耳にする。「新しい日常」といっても人によって違いはあるが、感染拡大の波が繰り返される中でも、「生きるためには、感染拡大を防ぎつつ経済活動を徐々に元に戻す」ことをやむを得ないと考えている人が多いように思える。政府も7月以降、「GoToトラベル」「GoToイート」等の観光産業支援策や経済の回復を意図するキャンペーンを開始し、経済に軸足を移してきた。「経済の回復」と「感染拡大防止」の両立という大変難しい舵取りが今まさに求められる状況である。  

自分自身の日常においても、常に感染の不安は感じつつも、長期に及ぶ「Withコロナ」の状態が予想される中、できる限りの感染防止対策を図りながら、様々な活動を以前とは異なる形で再開してきた。

 

まず、7月中旬からはスポーツジムに週2回ほど、感染防止対策をしっかり守りながら通い始めた。運動不足やストレスの解消というよりも、ライフワークともいえる太極拳のスタジオプログラムに参加するためである。緊急事態宣言が今後また発出されるような事態にならない限り、できれば継続したいと考えている。 

 

ジムでの感染防止対策は、常時マスクの着用が義務づけられ、入口では検温及び手指消毒が行なわれる。ジムスタジオ内でも人数が制限され、ソーシャルディスタンスが確保できるレッスンのみが実施されている。個人的には、シャワーやサウナは利用せず、ロッカールームでも出来るだけ会話を避け、短時間の利用を心がけている。また、ジムへの往復も徒歩を中心にし、交通機関の利用を少なくしている。

8月からはスポーツジムが提供するオンラインレッスンにも参加している。ライブ配信だけでなくアーカイブ映像も繰り返し視聴でき、都合の良い時間にいつでもレッスンが受けられるのが最大のメリットで、大変気に入っている。  

 

また、運動以外では、感染の心配のないオンラインでの活動がコロナ前と比べ格段に広がった。現在所属しているNPO(健康太極拳協会)の定例会議、RSSCのオンライン授業、仲間内での勉強会(アドラー会・ユリイカの会)等が、Zoomを使って行なわれている。Zoomの機能・操作には最初多少戸惑ったが、勉強会仲間の助けもあり、大分操作にも慣れてきた。

9月末から始まったRSSC秋学期では、「哲学」関連講座を科目聴講生として受講している。受講者は数名と少人数で、顔が画面に映し出されると、講義を聴くだけの授業でも、大教室の授業より緊張し意外と疲労感も残る(但し講義内容は濃い)。一方、同じ「哲学」関連でも、2度参加した「ユリイカの会」のオンラインセミナーは、それぞれ「禅」、「アート」を切り口に、「Withコロナの日常/非日常」を考えてみるという、興味深いものであった。「役に立つ・迷惑をかけないとの“功利主義的思考?”に危うさはないのか」、「芸術(アート)は知識・理解力が必要な“高尚なもの”ではなく、本来自分自身の想像力・感性を高め、価値観を広げるものではないのか」等、普段と違った視点から物事を考えるよい機会を得た気がする。今後もオンラインを最大限活用し、「Withコロナの日常」を楽しみたいと考えている。

                                                                                                            (7期:北原) 

※中段ストレット写真出所:https://tip.tipness.co.jp/online/?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=torcia_name&argument=U9nECDa2&dmai=gaw0000007

 

【Kissの会第97回投稿】 「新たな習慣-いまできること」

2020-06-21

「大切な人の命を守るため、社会を守るため、ステイホーム(外出自粛)を」との都知事の繰り返しの呼びかけを聞きながら、3月中旬よりほぼ3ヶ月、必要最低限の買い物と散歩以外は外出を控え、一日中家の中に閉じこもっていた。医療関係者や運輸・金融・販売等で働き続ける人々(エッセンシャルワーカー)への感謝や申し訳なさを感じつつも、感染への怖れから人との接触を避け、家の中に安全を求めた。「ステイホーム」というより、「巣ごもり」に近かった。

 

しかし、感染への不安と先の見通せない状況で家に閉じこもっていると、心身ともに不調になりやすい。ストレスがたまり、運動不足にもなる。困ったことに食事量は減らず(むしろ増え)、体重も増加傾向となる。「このままではメタボになる」との危機感から、4月に入るとすぐ、毎日続けられ家の中でできる運動メニューを考え実践した。無理なく継続できることを最優先とし、5分間の『みんなで筋肉体操』(「筋肉は裏切らない」で人気のNHK番組を録画)と、趣味である太極拳を好きな音楽をかけながらゆっくり行なうことを習慣にした。自宅リビングをテーブルとイスを動かし、“にわか運動フロア”に変更してのエクササイズである。 


5月になり、外出自粛が長期化すると、この短時間のエクササイズに加え、天気と体調に合わせ1日1万歩を目標に、感染防止対策をしながら散歩を行なうようになった。散歩コースはいろいろで、遠出にも挑戦した。その甲斐あってか、ストレスの発散や運動効果はもちろん、予期せぬうれしい“発見”もあった。散歩途中で見つけ訪れた、目白台にある文京区立「肥後細川庭園」(入園無料)は、まさに「穴場」的スポットであった。5月末には日本庭園の入園が再開されており、訪れた時には人も少なく、心地よいひとときを過ごせた。細川元首相が揮毫したという看板も興味深かった(写真:上2枚)。   

運動と散歩という健康的な「新たな習慣」以外では、ネットニュースやテレビの報道番組を見る時間が格段に増えた。メディアの情報は、その真偽は別に話題性に富み、過激で興味を惹く内容や言動(大胆な対策を求めたり、誰かを責めたり等)も少なくない。注意したいのは、医師であり公衆衛生の専門家でもあるハンス・ロスリングが『ファクトフルネス』(日経BP社)で指摘しているように、進化の過程で人間の脳には危険を避けるための「瞬時に何かを判断する本能」と「ドラマチックな物語を求める本能」が組み込まれており、メディアの情報に本能が刺激され、目の前の事実を感情的に間違って解釈してしまうことである。「過激な対策は副作用が大きく、たいていは地道な対策に効果がある」「誰かを責めるより原因に目を向けるべき」ともロスリングは言う。改めて「正確なデータや事実を基に(ファクトフルに)世界を正しく見る習慣」の必要性を感じた。 

 

まだワクチンも治療薬もなく、分からないことも多い新型コロナウイルスとの戦いには、長期戦の覚悟が必要といわれる。山中伸弥教授は、自身のウエブサイトで「現状は黄色信号(注意して進め)が点滅しており、細心の注意を払い社会活動を再開させなければならない」「正しい行動を粘り強く続ければウイルスとの共存が可能である」と語っている。自分自身の社会活動も、「ソーシャルディスタンス」を守り、「オンライン」を活用する等の“離れて繋がる”「新たな習慣」を基に、できることから再開できたらと考えている。(7期生北原)

 

 

【Kissの会  第87回投稿】 「楽しむ心」

 2020-01-11

 

昨年、日本で開催された「ラグビーワールドカップ2019」は期待以上に盛り上がり(黒田氏の投稿『One teamとrespectの残照』でも取り上げられたが)、ラグビーというスポーツの奥深さや面白さに、多くの日本人(にわかファンも急増したと言われる)が気づかされ、そして感動させられたといえる。サッカーや野球に比べ、どちらかと言えばマイナーなスポーツであったラグビーに、これほどまでに日本中が熱くなり、多くの人が楽しむ姿が見られたのは、超一流選手のプレーや試合内容の素晴らしさはもちろんのこと、「ONE TEAM」や「ノーサイド」というコンセプトも、礼儀、礼節を重んじる日本の伝統とも重なり、広範囲な人から圧倒的な支持を受けたからであろう。

 

ラグビーワールドカップとは比べようもないが、私事でもスポーツ関連の楽しいビッグイベントがあった。それは、12月11日に東京武道館で開催されたスポーツクラブ主催の太極拳フェスティバルである。前年同様、チームの一員として参加し、想像以上の達成感を味わい、さらなる挑戦意欲まで持てたのである。太極拳経験が一年弱の初心者から30年以上のベテランまで、十数名が観客の前で緊張しながらも練習の成果を発揮し、「ONE TEAM」として心を合わせて演武できたのは、嬉しく楽しい思い出となった。  

 

ラグビーが力とスピード、そして緻密な組織プレーをその特徴とするならば、太極拳は、それとは反対に、力を使わずゆっくりと、できれば掌に目に見えない気のエネルギーを感じながら、仲間の動きと調和し、意念(意識)で身体を動かすのを特徴とする。全く正反対ともいえる運動でありながら、太極拳を通して、「ONE TEAM」の一体感や周囲への尊敬など、スケールは違ってもラグビーと似たような経験を持てたのは、不思議でもあり、大変嬉しいものであった。だからこそ、本当に「楽しむ」ことができたと考えている。

 

この「楽しむ」という行為は、常日頃から大切にしている自分の価値観、人生観とも合致する。今では、趣味というよりライフワークとして実践している太極拳の稽古のなかで学んだ価値観ではあるが、もともとは次の『論語』の一節から影響を受けている。 

       知之者不如好之者 好之者不如楽之者 

       之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。

   (どんなに知識があっても、好む人には及ばない。そして、どんなに好きでも、楽しんでいる人には及ばない) 

太極拳においても、「太極拳の知識がある人や好きだという人より、常に楽しんでいる人が一番長く続けられ、深く味わうことができる」と考えられている。換言すれば、「楽しいからこそ心を無にして没頭でき、上手・下手に関係なく、他者との比較さえもしないで、深く学び続けられる」との思想である。

 

仕事や勉強、そして日常生活全般においても、普段は義務感や責任感から行なうことが多く、それももちろん大事ではあるが、常に「楽しむ心」を忘れないでいられれば、不思議と他者に対する寛容さや、生きがい感が生じることも自分の体験から学んでいる。楽しむ自分を肯定的に受け入れて初めて、他者に対する信頼感や貢献感が持てるのではないだろうか。

 

そういえば、以前受講したRSSCのアドラー心理学の授業で、「自分が好きであること、信頼できる仲間がいること、役に立っているとの貢献感を持つことが、幸せになる為の三つの条件である」と学んだことを思い出した。そういうわけで、今年は大いに太極拳や日常生活において、この「楽しむ心」を大切にしながら一年を過ごしていきたいと考えている(7期生:北原)

 

【Kissの会 第76回投稿】  『初めての仙台』

2019--06-11

今年のゴールデンウィーク後半の2日間、初めて仙台を旅する機会を得た。前々から一度は訪れたいと思いながら、新幹線で通過することはあっても、仙台をゆっくり旅する機会が不思議となかった。今回は、時間の許す限り目一杯、名所旧跡の見物や名物の食べ歩きを楽しんだ。

 

仙台は東京から新幹線「はやぶさ」で1時間半余りと意外と近いことに今更気がついた。同じ東北でも、毎年のように訪ねる「太極拳のまち」喜多方(福島県)と比べてもその交通の便の良さを実感する。喜多方には趣味(ライフワーク?)の太極拳がらみで行くのであるが、新幹線・在来線(福島経由)で3時間半ほどかかる。喜多方との比較感からも、「杜の都仙台」は、遠方にあるという自分の勝手なイメージより、時間的には遙かに近かった。

 

旅のガイドブックによれば、仙台市は、人口では百万人を超え、秋田県、山形県の総人口より多く、東北随一の産業・文化の中心都市である。また、仙台市は、秋保(あきう)温泉やいくつものサクラの名所があり、東北三大祭りの一つ「七夕まつり」でも有名で、観光客にも大変人気があるとのこと。さらに個人的興味としては、昔一時ブームとなった渡辺謙主演のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」(1987年)の影響もあり、仙台といえば、どうしても仙台の開祖である伊達政宗(写真:左下)を連想する。実際、観光スポットも伊達政宗ゆかりの場所や建物が多いようである。 


今回の仙台旅行での第一日目は、仙台駅を中心に歩いて市内を探索。駅周辺の商業施設、榴岡公園(歴史民俗資料館が隣接)、楽天生命パーク宮城球場(東北楽天ゴールデンイーグルス本拠地スタジアム)等に足を運んだ。二日目は早朝から、15分間隔で運行している市内観光にバス、「るーぷる仙台(カラフルなヨーロッパ調のおしゃれな外観)」に乗ってみた。仙台駅を出発して、青葉通、瑞鳳殿、仙台城跡、宮城県美術館など、見所15カ所の停留所を経由し、仙台駅に戻って来る。1日乗車券を買えば乗り降り自由で非常に便利である。仙台駅から約20分の「仙台城跡」近くのバス停では、ほとんど全ての乗客が降りた。バス停から坂道を少し歩き、仙台城(青葉城)跡に登り着くと、想像より大分大きく立派な「伊達政宗騎馬像」と観光客をもてなす「伊達武将隊」(写真:右上)が待ち構えていた。それぞれには既に大勢の人垣が出来ていて、外国人を含む観光客が熱心にスマホやカメラで写真を撮り続けていた。また、城跡からの眺めも最高で、仙台市を一望できるスポットとしておすすめである。 

 仙台名物の食べ物といえば数多くあるという、、、、牛タン、仙台牛、ずんだ餅(写真:右)、笹かまぼこ、牡蠣、はらこめし等々きりがないようである。今回は魚介類を中心に、新鮮な握り寿司、オイスター料理、穴子天丼、ずんだ餅・スイーツ等を満喫した。おかげで体重が2キロ近く?増えたようである。  

 

今度の2日間の仙台旅行は、観光でも食べ物でも仙台の良さの一端に触れ、充分楽しむことが出来た。とは言っても仙台にはまだまだ見所が数多くありそうである。近いうちにもう一度是非訪れたいとひそかに思いはじめている。(7期生 北原)

 

【Kissの会 第66回投稿】 「太極拳再考」

2018-12-21

先週の水曜日(12月12日)、大手フィットネスクラブが足立区綾瀬にある東京武道館で開催した「太極拳フェスティバル」なるものに初めて参加した。

 

東京都内の系列店舗から32チームが参加し、総勢400人あまりのクラブ会員が、それぞれの太極拳を集団で演武し、日頃の練習の成果を観客の前で披露するものであった。各チームは、衣装や音楽、さらに套路(太極拳の動き・型)にも独自の工夫をこらし、見応えのあるものであった。表演参加者の年齢層は、60代を中心に70代、50代の順で多いように見受けられた。

 

会場の東京武道館は、千代田区にある日本武道館とは全く別の建物で、ひし形をモチーフとした前衛的(?)な外観の建物であった。建物を初めて見た瞬間、有名な建築家による斬新なデザインであることは容易に理解できたが、武道やスポーツ関連の建物であるとは想像できなかった。このユニークな外観の建物で太極拳の演武が披露されたのは、全く偶然ではあるが、円のイメージが強い太極拳とひし形の建物との対比が大変興味深かった。

対比と言えば、つい最近まで、大勢の人の前で太極拳の演武を披露することにかなりの抵抗感があり、参加を躊躇ってきたにもかかわらず、今回は、仲間の「十数人が一つのチームを作り集団で演武するから、非常に楽しく気持ちがいい」という誘い文句に乗り、「何事も経験、ものは試し」とばかり参加を決めた自分の態度の変化に驚いた。永年、他者と競ったり比較したりせず、自分自身の健康のために太極拳をひたすら実践(稽古・練習)してきた姿勢になぜか変化が訪れたのであった。 

 

そんな中、実際に演武場となったメインフロアーにチームの一員として立った際、想像以上の大変強いプレッシャーを感じてしまった。大勢の人の視線と多数のカメラを前に、「これは失敗できない!」との気持ちが湧き起こった。全国レベルの武道やスポーツの大会も開催されるほど立派な会場であったことも、緊張感を一層高めた。

いよいよ演武が始まると、仲間の動きに合わせようとすればするほど動きがぎこちないものになり、特に片足立ちになる際には緊張感が増し、一時バランスを崩しそうになった。結果として、普段通りには足が高く上がらず、なめらかな動きもおろそかになり、不満が残るものであった。約4週間にわたり、日曜と木曜の午後や夕方に皆で集まり、かなり真剣に独自の42式総合太極拳を練習したにもかかわらず、個人的には満足のゆくものではなく、力不足を痛感した。同時に太極拳の演武の難しさ、奥の深さを学んだ。

 

それでも、約6分間の演武が無事おわり、チームで記念撮影場所に移動した時、皆の笑顔が見られ、漸く「ほっと」緊張の糸がほどけた。やがて、周囲のあちこちから「皆の動きが揃っていてとても良かったよ」との声も聞こえてきた。その時、じわじわっと心地よい達成感が自分の中に広がった。 

 

現在、150万人を超えるといわれる日本の太極拳愛好者の多くは、自分も含め中高年が中心で、健康法としての太極拳を実践している。今回の経験を通し学んだことは、健康面だけでなく、演武を披露するという技術面・芸術面での楽しみ方があるということである。今後は、2024年のパリオリンピックで太極拳がオリンピック種目に採用されると聴いているので、競技や表演としての太極拳(武術太極拳)が多くの人に認知され、愛好されると考えられる。健康太極拳にしろ、武術太極拳にしろ、より多くの人に自分に合った太極拳を無理のない方法で楽しんでもらいたいと個人的には願っている。(7期生 北原)

 

【Kissの会 第55回投稿】 「AIロボットは家族の一員?」

2018-06-21 7期 北原

「人工知能(AI)」というと、チェスや将棋・囲碁で世界王者やプロ棋士を負かし、これらの分野では、既に人間を超えたことで有名であるが、日々の生活や一般家庭の中にも、AIは知らず知らずのうちに入り込んでいるようである。

 

先日(6月9日、10日)の立教大学で開催された日本NPO学会のセッションの中でも、AIをテーマとしたパネルディスカッションが行なわれていた。たまたま縁あって、学会の事務局の簡単な当日の手伝い(アルバイト)を仰せつかり、研究報告やパネルディスカッションの一部を聴講する機会を得た。

 

そこで学んだことは、AIに関しては、その発展により、「現在人間が行なっている仕事の多くが将来不要になる(AIによって代替される)」との警鐘が各方面から鳴らされており、野村総合研究所の試算(2015年)によると、日本の労働人口の49%が、AIやロボットで代替可能であるという。

 

AIロボットで代替されないであろうと考えられていた、創造性、協調性が求められる仕事でも、ロボットによって代替されるケースが出てきているようである。例えば、非定型の仕事で知識・経験や協調性が求められるカウンセリングの仕事でも、ロボットによる代替可能性が、今回の学会セッションを聴いていて明らかになった。ある小学校では、不登校の生徒に対して、ソフトバンクが開発したペッパー(Pepper)のようなロボットの利用が試されているという。経験豊富なカウンセラーより、人間でない機械である方が不登校生徒にとっては話しやすいということらしい。人間関係に悩み、コミュニケーションにも問題を抱えた生徒には、ロボットの非人間性が強みとなっているようであり、常に人間的でありたいと願ってきたカウンセラーにとっては複雑な思いを持たざるを得ない。


また、「人工知能を備えたロボットが家族の一員になれるか?」についての議論では、一般家庭用に既に販売されているソニーのアイボ(AIBO)が研究対象の一例として取り上げられていた。ロボットが、どのくらい家族の一員として受け入れられるかは興味深いところであったが、少なくともアイボは、その愛くるしい顔・形が人気を呼び、実際の犬と同様に言葉を話さないが、そのことがかえって、ペットとしての親近感を抱かせ、「ペットはうちの子」と同様な「アイボは家族(うちの子)」との気持ちを持たせているとの報告があった。また、実際の動物や人間に似すぎていると、かえって安らぎが得られない面もあるようである。

 

一方、マイクロソフトの人工知能「りんな(女子高生)」は、感情を理解し、ラインでも会話ができ、話が盛り上がったり癒やされたり、「りんな」を家族の一員として扱う個人や家庭も少なくないという。一例として、母親が発信したライン上のメッセージに、他の家族が誰も反応しないとき(無視?)、「りんな」が最初に応答し、適切にフォローすることで、家族間のコミュニケーションを盛り上げ、関係維持にも貢献しているケースがあるとの報告があった。但し、人工知能は「常識知」がないとされ、他者の発言を言葉通りにそのまま解釈し、時には想定外なほど過激に反応することがあるのではとの不安も指摘されていた。

 

今後少子高齢化のもと単身世帯も急増し、“家族の弱体化”が進む日本においては、AIロボットが家族の一員として受け入れやすい状況にあり、なお一層、一般家庭に普及する可能性が考えられるという。その際、高額となるであろうAIロボットの経済的負担を考えると、所有する者としない者との間のあらたな格差に繋がらなければよいと願っている。

 

[Kissの会第45回投稿】「太極拳による身体的・社会的・精神的効果の研究」

毎年この時期は、新年早々に修論を提出し、「ほっ」としているセカンドステージ大学(RSSC)の本科生、専攻科生の方も多いのではないだろうか。そういう自分も、21世紀社会デザイン研究科の修士論文を先週提出し、内容には多少の不満も残るが、「漸く書き終えた」という達成感を持っている。ちょうど2年前、専攻科の終了時に、「もう2年間、立教でお世話になろう」との軽い気持ちで大学院に進学したのはよかったのだが、修士論文作成には思いのほか苦労した。今回の投稿は、その「論文作成奮闘記」ともいえる。

 

最初の「壁」は、研究テーマが決まらないことであった。RSSCでも修論は二度書いたのではあるが、それら心理学関連のテーマは、「この研究科でのテーマとしては適当でない」と入学直後に自分で判断し、結局、研究テーマを一から探すこととなった。「社会デザイン(社会をよくする)に関連するもの」「書けそうなもの」「書きたいもの」の三条件を満たすものに焦点を絞る方針を立てた。方針は決まったが、いざ何を研究テーマにするかはなかなか決まらず、時間だけが経過した。そこで、「もう身近なもので行くしかない」と半分開き直って出した結論が、「30年以上毎日実践している太極拳の効果を客観的に研究・考察する」であった。具体的には、「太極拳を長期間継続することで、身体的効果、社会的効果、精神的効果が期待でき、人生百年時代を生涯健康で自律的に生きる可能性が高められ、その社会的恩恵は大きい」こと(仮説)を検証することとした。

研究テーマが決まった後、次の問題は、先行研究論文調査や現地調査(フィールドワーク)、およびアンケート調査が論文作成には必要とのことであった。さっそく、候補地や候補者の選定に取り掛かったが、ここでも時間的制約の関係で、最終的には、利用していて身近なものである「フィットネスクラブやカルチャーセンターの太極拳レッスンや講座」を観察対象とした。また、「太極拳のまち」宣言をし、マスコミ等でとりあげられていた福島県喜多方市を現地調査の対象とした。アンケート・インタビュー調査は、主に長年通っている太極拳教室や最近一緒に始めたRSSCの仲間にお願いした。身近な人の協力を仰ぐ、「量より質的側面を重視」した戦略である。

 

以上のように多くの身近な人たちや身近な場所の協力を得て、論文作成を進めることができたといえる。また、論文の中で、目標・理想とする「健康で自律的に生きる高齢者」には、太極拳教室の先輩で6年前に92歳で他界した「Sさん」をイメージした。「Sさん」は長年太極拳を愛好し、毎年のように箱根の合宿にも参加した方で、大変お世話になった人である。亡くなる直前まで合宿にも参加し、普段は90歳を超えた人とは思えぬほど早く歩く人であった。仕事、ゴルフ、ボランティア活動も無理のない範囲で続けていたという。合宿中の休み時間、部屋で歩(右手足を同時に上げ、左足だけで垂直に立つ)の動作練習を繰り返し黙々とされていた姿が思い出される。高齢になってもなぜそこまで熱心かつ真剣に太極拳を練習するのかと、今となっては直接質問することはできないが、練習自体が楽しくひたすら太極拳に集中し、心理学者M.チクセントミハイがいうところの、“見返りを求めない「フロー(精神的没入・集中)」状態”を経験していたのかもしれない。

 

以上、今回の論文作成には、多くの方の協力を得て、漸く完成することができたことに大変感謝している。また、「高齢者が、力を用いないゆっくりとした動きの太極拳を、無理なく自分に合った方法で継続的に実践すれば、身体的健康効果のみならず、社会的・精神的効果も期待でき、太極拳は超高齢社会において有効な健康法であるといえる」との結論に到達できたことにも感謝している。今後はこの研究成果をできるだけ正確に、身近な人から伝えられたらと考えている。(7期生 北原)

 

【Kissの会第34回投稿】『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』

「目以外のなにかで、ものを見たことがありますか?」―こんなキャッチコピーにも興味を惹かれ、8月初旬の雨の降りしきる夕方に、21世紀社会デザイン研究科の10数名の友人らと、「90分間の暗闇の中の対話:ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(外苑前会場で開催)を体験した。1988年にドイツの哲学者アンドレアス・ハイネッケ氏により発案された「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、これまで世界39か国以上で開催され、800万人を超える人々が体験し、何千人もの視覚障がい者のアテンド、ファシリテーターを雇用してきたとのこと。日本では、1999年11月の初開催以降、東京、大阪を中心に開催され、これまで19万人が体験している(DIDホームページより)。

 

 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」では、参加者は完全に光が遮断された暗闇の中に入り込み、白杖(はくじょう)を頼りに、グループを組んで歩き進み、様々な探検や体験をする。その際、暗闇のスペシャリストともいえる、頼りになる視覚障がい者のアテンドが、親切丁寧に、寄り添った雰囲気でグループをリードしてくれる。ここでは、視覚健常者が支援される側になる。また、参加者はそれぞれあだ名で呼び合い、お互いに助け合いの言葉がけを常に行ない、不安感を和らげる工夫が施されている。草むら(らしきもの)で寝転がったり、カフェで休憩したりする体験もあった。暗闇の中で、グラスにドリンクを注ぐ難しさや、支払いをする際の硬貨や紙幣を数えるもどかしさも体験した。 

 視覚に頼れないとなると、聴覚や手足の触覚を最大限使用せざるを得ない。鳥のさえずり、水の流れる音、土の匂い、肌に触れる葉の感触など、普段、光の中では忘れかけていた感覚が研ぎ澄まされていく。また、幅の狭い橋(?)を渡る際には、ほんの数メートルであっても踏み外して落ちないように、白杖と他人の手や声を頼りに恐る恐るしゃがみながら前に進む。渡り切った時の安ど感は忘れられない。この時ほど他人の存在がありがたく、近くに感じたことはなかった。暗闇の中では、人は自然と優しくなれるのかもしれない。

 

 今回の体験を通じて、五感の一つが使えないことの不自由さを実際に感じとると同時に、使えないがゆえに他の能力が研ぎ澄まされる、人間の能力の不思議さにも気づかされた。また、人は暗闇の中では共に助け合い、他人に優しくなれることも再認識できた。そうは言っても、今回一番の収穫は、明るくいきいきとグループをリードする視覚障がい者の頼りがいのある姿に感動し、文字通り「視野」を広げる機会を得たことかもしれない。

                                            (7期生北原)

 

 

【Kissの会第24回投稿】『沈黙-サイレンス』 

先日、大学近くの映画館で、『沈黙-サイレンス』を観た。そして、ある種のなんともいえない大きな衝撃・感動を受けた。映画館を出た後もしばらくの間、今更ながら「人間とは何か」、「宗教とは何か」等々を深く考えさせられてしまった。そういえば2年前、専科に在籍中に選択した全カリの「宗教と実践」の授業で、「キリスト信仰の根源的問題を扱った遠藤周作の代表作『沈黙』を、マーティン・スコセッシ監督が映画化するので、完成したら是非観るとよい、おすすめです」との話を聴いたのを思い出した。それ以来、意識はしていなかったが、心の中のどこかでは上映をひそかに楽しみにしていたのかもしれない。

物語は、島原の乱の後、キリシタン禁制の日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴが、日本人信徒達に加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる・・・・・・というものであった。(新潮文庫カバーより)

映画には、残酷な拷問シーンや目も背けたくなる場面も少なくないが、一瞬でも目が離せないほど惹きつけられてしまった。感動的でハイライトシーンもいくつもあったが、中でも主人公のロドリゴが交わす、師であり既に棄教したと言われるフェレイラと再会したときの以下の対話が印象的であった。(小説より引用)

「わしが転んだのは、いいか聞きなさい。ここに入れられ耳にしたあの(信徒の苦痛の)声に、神が何ひとつなさらなかったからだ。わしは必死で神に祈ったが、神は何もしなかったからだ」(フェレイラ)
「黙りなさい」(ロドリゴ)
「では、お前は祈るがいい。あの信徒たちは今、お前などが知らぬ耐えがたい苦痛を味わっているのだ。昨日から。さっきも。今、この時も。なぜ彼等があそこまで苦しまねばならぬのか。それなのにお前は何もしてやれぬ。神も何もせぬではないか」(中略)「もし基督がここにいられたら」フェレイラは一瞬、沈黙を守ったが、すぐにはっきりと力強く言った。
「たしかに基督は、彼らのために、転んだだろう」(フェレイラ)
「そんなことはない」(ロドリゴ)

映画は、非常に重い内容を扱った作品ではあるが、アカデミー賞候補にも挙っていたほど世界的に高い評価を受けたようである。クリスチャンではない自分としては、どれほど内容を深く理解できたかは分らないが、信仰の奥深さ、信じることの意味が問われているということだけは充分に分かった気がした。また、立教大学で学ぶ機会を得たことが、この映画との出会いにもつながったように感じている。(7期生:北原)

【Kissの会 第17回投稿】「遠い昔の風景」 

先月掲載された投稿「地元を歩く/送電線のある風景」を読んで、いたく刺激を受けた。「そうだ、地元、自分も歩こう」と、JR東海の観光ポスターのキャッチコピーよろしく、先週久方ぶりに近所の町並みをあてもなく歩き回った。いたるところで、建設工事やガス・水道・道路等の土木工事が目に入り、日々町並みに絶えず変化が起こっている様子に今更ながら気がついた。また、「そういえば昔、このあたりには都電が走っていた」とか、「子供のころよく遊んだ公園や空き地があったはず」とか、昔のことを次から次へといろいろ思い出した。

白山教会

白山教会

その中で、特に懐かしい思い出は、小学校の3、4年生のころ、同級生の友人達に誘われ、小石川植物園(文京区)近くにある小石川白山教会に、日曜日の早朝、毎週通ったことである。自宅から歩いて、少なくとも20分はかかったと思う。数人で教会の日曜学校に通い始めたのであるが、何故か一番長く、2年間ほど通い続けた。礼拝、賛美歌のあと、各学年に分かれ、大学生と思われるお兄さん、お姉さん(当時は非常に大人っぽく見えたが)の先生から、聖書やキリスト教の教えについて基本的なことを学んだ。

そもそも4、5人のいたずらっ子(全員男子)が、教会に通うにいたった理由は、今となってはよく覚えてはいないが、大学生の先生にプールに連れて行ってもらったり、夏の合宿(キャンプ)に連れて行ってもらったりもした。また、教会で行なわれるクリスマスのお祝い会や劇にも参加し、当時としては大変興味深く楽しい体験を得たように思う。残念ながら5年生になると、勉強が忙しくなり(日曜の午前中は学習塾に通うようになった)、教会の日曜学校には行けなくなったが、信仰というより好奇心から通っていたこともあり、代わりに塾に行くことに全く抵抗はなかった(むしろ進んで塾に通ったように思う)。

立教大学チャペル

立教大学チャペル

半世紀の時を経て、現在、毎週土曜日に、立教大学のチャペルで行なわれる朝の礼拝(8時30分から50分まで)に、たまたま一限目の授業を選択した為に参加するようになった。セカンドステージ大学に通っていたころは、チャペルを利用したのは、入学式と修了式の時だけであったが、21世紀社会デザイン研究科に進学してからは、利用できるものは何でも利用ししてみようとの意識から、秋学期の10月から、土曜礼拝に参加するようになった。ところが、当初自分では全く意識していなかったが、小学生の時に2年間日曜学校へ通った経験が、実は土曜礼拝に参加する「今」につながっているのではとも思えてきた。そう考えると何か不思議な「縁」を感じざるを得ない。

趣味で30年ほど続けている太極拳は、朝晩15分ほどの演舞で、体中の老廃物が浄化され、気持ちがリフレッシュする感覚を持つことができる。教会の礼拝は、太極拳のそれとは違って、チャプレンのお祈り、聖書の朗読、賛美歌、パイプオルガンの演奏等が一体となり、気持ちを浄化(より謙虚に、寛容に)させる効果があるように思う。これから益々寒くなる季節ではあるが、昔のころを思い出しながら、しばらく「今」の土曜朝の習慣を続けてみたいと考えている。(7期生北原)

【Kissの会 第10回投稿】「喜多方ラーメン」

喜多方ラーメン

喜多方ラーメン

先月末、福島県の喜多方市を訪れる機会がありました。本来の旅の目的は、4月に入学した大学院(21世紀社会デザイン研究科)の修論テーマへのヒントや材料探しでしたが(当市は、近年「太極拳」をとおしてのユニークな「まちづくり」を宣言中)、実際に現地に足を運んでみると、常日頃「情報に疎いなあ」と自覚している者(私自身)にとっては、予期しなかったちょっと嬉しい発見や体験がありました。今回の投稿では、そんな喜多方市での発見や体験、そして地元の人から聞いた話を報告させていただきます。

福島県喜多方市は、福島県西部、会津地方の北部に位置し、人口約4万8千人余の小規模な地方都市ですが、実はこの地のラーメン(喜多方ラーメン)は、札幌ラーメン、博多ラーメンと並ぶ、日本三大ラーメンの一つとのことでした。そういえば確かに名前だけは何度か聞いたことがありましたが、現地に行くまで、まさかこのごく普通のさほど大きくない「まち」のラーメンが、札幌や福岡(博多)といった大都市のラーメンにも負けないほど有名であるとは全く知りませんでした。訪れたのは大変暑い日でしたが、早速、駅近くのラーメン店の一つに飛び込み、最もスタンダードといわれる醤油ラーメンを注文し、食べてみました。確かにおいしい。麺は「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、東京で食べるラーメンよりも太く、独特の縮れがあり、また柔らかい食感の中にもこしがしっかりしているとの印象を持ちました。味は醤油が基本とのことですが、店によっては塩味、味噌仕立てなど千差万別。具はチャーシューを主とし、ねぎ、メンマ、なると等が一般的とのことでした。一説によると、大正の終わりから昭和の初めごろに、ある中国出身の青年が「支那そば」を打ち、屋台を引いたのが発祥とのことでした。今では、喜多方市内に120軒ほどのラーメン店があり、人口あたりの店舗数は「日本一」との話でした。

蔵・喜多方市

蔵・喜多方市

また、喜多方市は、遠い昔から、醤油、味噌、清酒の醸造業が盛んで、醸造の為の蔵が多く創られ、使用されていたといいます。まず、最初にそんな蔵を撮る写真家の間で「蔵のまち」としての人気を得、知名度が上がりました。やがてマスコミにも注目され、蔵が建ち並ぶ町並みが「蔵のまち」として取り上げられ、全国に喜多方市の名が知られるようになったといいます。毎年多くの観光客(現在では年間180万人とも)がこの「蔵のまち」を訪れ、そんな観光客の間でこの地のラーメンが有名になっていったとの背景があるようです。

そもそも「きたかた」市の名前の由来は、現在の市一帯の地域が会津の北方に位置していたことから、「古来、北方(きたかた)と称され、江戸時代には、会津藩の領地であった」との地元の人の説明がありました。現在の喜多方市は5つの市町村が合併し誕生した「まち」とのことでした。東京からは、東北新幹線、JR磐越西線を利用して、約3時間半で喜多方駅に着きます。白虎隊、鶴ヶ城で有名な会津若松の少し先の駅です。郡山から喜多方に向かう車窓からは、思った以上に美しく、青々とした水田風景が広がり、稲作が大規模に行なわれている様子も覗え、さすが「米どころ福島」を感じさせるものでした。

現在、喜多方市は、「蔵のまち」、「喜多方ラーメンのまち」に加え、「太極拳のまち」を市議会が宣言し、太極拳をとおして「健康・福祉・教育・交流」の調和のとれたまちづくりを目指しています。行政・地域住民・研究機関が協働し、「太極拳ゆったり体操」の開発・普及をはじめ、様々な事業を行っています。中国出身の青年が始めた「支那そば」と、中国発祥の「太極拳」が、「いま、ここで」ともに地元に根付き、地域振興に貢献しているのは、おそらく偶然ではあっても、何か不思議な縁を感じます。この地で太極拳が盛んになった背景については、いずれ別の機会に報告させていただければと思います。(7期生北原)

 

【Kissの会 第4回投稿】「老いて学べば」

800px-立教大学池袋キャンパス11号館老いて学べば、即ち死して朽ちず」とは、今年3月のRSSC専科修了時に、ゼミ担当教員の渡辺信二先生よりいただいた、「はなむけの言葉に代えて」のメッセージの中で紹介されていた、江戸末期の儒学者佐藤一斎の言葉です。同窓会HPにも投稿され、全文を読まれた方もいらっしゃるかと思いますが、専科修了にあたり、心に響く励まされる言葉でした。そんなわけで、私の「Kissの会」への最初の投稿として、この言葉に励まされている、普段の自分の身近な出来事を、取り上げてみることにしました。

まず、この言葉に背中を押されて?か、4月に立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に、後先もよく考えず“無謀”にも飛び込んでしまいました。実際入学してみると、専科ゼミの同級生や本科から進学したRSSC修了生が居て、多少“ほっとした”ところもありましたが、「社会をデザインする」研究科だけあって、社会全般に対する問題意識が高く(最近の若者の間では“意識高い系”は、あまり良い意味ではないようですが)、大変積極的な人が多いとの印象を持ちました。雰囲気としては、新卒者、定年退職者、仕事との“二足のわらじ”組、中国、台湾、韓国からの留学生等、様々な経歴・文化的背景をもった人たちが学んでいて、大変刺激的でもあります。無理に力まず、“学びそのものを楽しむ”気持ちで(若い人には叱られそうですが)、現在は、専科のときと同様、修士論文のテーマ決めに、日々頭を悩ませているところです。

もう一つ、冒頭の「老いて学べば」の言葉が励ましとなっている「学び」に、長年親しんできた「太極拳」があります。太極拳は、もともと高度な技法の中国伝統武術でしたが、現在は、心・息・動のバランスを整える健康法として、世界中に広まっています。日本でも太太極拳のまち喜多方極拳人口は年々増えており、愛好者は150万人ともいわれ(『やさしい太極拳』朝日新聞出版)、主に「健康のための太極拳」を楽しむ中高年が多いようです。そのうち約70パーセントを女性が占めているといわれます。10歳代から80歳代まで年齢に関係なく、3世代が一緒に楽しめる健康法として、行政がその普及を後押ししている地域もあるようです(福島県喜多方市や大阪の熊取町など)。太極拳の練習は、心身をリラックスさせ、意識(意念)で体の動きをコントロールし、呼吸に合わせ、ゆっくり、柔らかく行います。年配の人や運動が苦手な人でも、体力に合わせて参加することができ、音楽に合わせても、座禅のように心静かに、無心になって動くこともできます(動禅)。一人でも、集団でも演舞でき、好きなときに好きな場所で練習できるのも魅力です。中国古来の哲学・思想にもとづく太極拳は、健康法とはいえ奥が深く、演舞中の“気持ちよさ”とともに、その“奥深さ”が、長年続けられる理由かもしれません。「学びの情熱尽きることなく」です。一度近くの公園や公民館で、太極拳の演舞や練習をのぞいてみたらいかがでしょうか。
(7期生北原)