【Kissの会 ゲスト投稿no.91】        「『運と徳』のちから」

 

2023-01-01  (7期)岩田 良江さん

43年前、年末宝くじに大当りした。当時中小企業には雨が降っても傘を貸し渋る銀行から特別丁寧な扱いを受け幸運を味わった。私は、この宝くじは天からの贈り物と思った。 実家の母は、「お前は徳をもって生まれている。赤子のときから手のかからない良い子だった」と言った。 良い子?くじ運に当たり得をしたことには間違いない。小さい時から耳にする


「徳のある」の母の言葉はマジックのようで、何事も頼まれれば「イヤ、ダメ」という反論は、「徳」に押し返されて本音はあまり言わずにいた。そのせいか成長とともに忍耐強くなる。母にとっては、子育てに都合のよい言葉だったと今も理解する。

 

大家族に嫁にきて、何事にも我慢をする日常生活、ネガティブな気持ちに陥ることが多々あったが、これも運命かなと心のスイッチを切り替え頑張る。嫁の立場上そうするより仕方がなかった。実母は「頑張れ、頑張れ、今に徳があるよ」と応援してくれる。

15歳を頭に4人の子供を残し、不運にも夫が病気で他界した。まず、第一にこれから子供の教育をどうするか、その資金は?思案の結果、「そうだ、今手元にあるお金を増やそう、それしかない!」人様にはとても考えにくいが、真剣にこの危険な選択をした。投資金額の上限を決め、株の売買に運を賭けた。今と違って紙上と証券会社をくまなく見聞きし、丁度按配よくバブル景気に乗り4人の子供の学費を捻出することができた。

 

これは偶々かもしれないが、負の人生を乗り越える根性を「徳」が後押ししてくれたかのように思えた。 運は待っていても来るとも来ないとも、寝て待つなど、ただボーッとしていては、一瞬に通り過ぎてしまうか逃げてしまう。チャンスは前向きに掴み、そして行動して努力しての失敗は、何もしないより結果を次に生かせばよい。たとえ成就しなくても、なくて元々と思えば諦められる。


夫亡きあと、会社継続か鍋底景気に悩んでいた矢先、用地 買収の大きな「運」が目前に、この「運」を手繰り寄せる思いで交渉の席を何度も設け、買収者、私と従業員が納得して手を打った。今振り返ると、あの時の自分には特別な「徳」の神力が応援してくれたように思う。「徳」には沢山の意味合いがあるが、毎日を正しく一生懸命生きる。もちろん自分や家族や、人の為世の為に。私は実母が言う「頑張れ、徳があるよ」を念頭に今まで人生を歩んできた。

 

1955年、高度成長に向かう頃から真面目に懸命に働けば道は開けたが、今頑張っても良いチャンスは巡ってくることは少ない。家庭を持つことさえ難しい格差貧困社会になってしまっている。せめて日本中の皆が、安全で安心して生きられる社会に世直しできる「偉人・徳に徳を積んでいる」人は出てこないかなー? 行政を司る議員は、自分の得の為の選挙で、国家国民の為に真剣な働きをする議員は、ザーッとみても残念ながらいそうもない。 

自分ではどうにもならなかった「運」の悪さの就職氷河期世代、またコロナ禍による失業・倒産、さらに今後AIの普及により人間がする仕事が少なくなるの伴う格差拡大、そして間違いなく来る超高齢化社会を、政府は本格的に早急に(例えばベーシックインカム等これはまだまだ多くの問題があるが、今後の社会試案として)考える時期にきていると思う。

 

これからの時代を担う人達が「運」に左右されない安定した生活、そして未来に希望が持てる社会を節に願う。