【Kissの会  ゲスト投稿no.107】   「玉川上水伐採反対運動の顛末」

2024-03-01 (7期) 近藤 秀子さん

 

そこには、今では市街地では見られなくなった山野草が多く見られる。玉川上水はコナラやクスノキの林の下に澄んだ水の細い流れである。沿道を散歩やジョギングする人も多い。近年の夏の暑さは耐え難いが上水の木陰の道はとても涼しい。

三年前の五月、ここにちょっとした異変がおこった。始めは本当にちょっとしたことのように思われた。新橋のたもとのモミジの木が2本、丸坊主にされていた(右写真)。 

 

見つけた人は「何と酷い切り方をするのだろう、秋の紅葉が見事だったのに」と怒り、水道局に苦情の電話をいれた。水道局からは新橋に人を集めておくようにと日時を伝えてきたと言う。説明に来るのだそうだ。そんなこと電話で済むのじゃないか、と思ったが行ってみた。集まったのは松蔭橋近くに住むAさん夫妻、電話をした友人、私の4人だった。


やってきた水道局の職員は「モミジの枝のために視野が狭まり危険だ、という住民からの苦情で切った」と言う。そこまでが説明だろう。「新橋から幸橋までの北側の木を全部切る予定だ」と続けた。本当はそれを言うために来たのではないか。何故全部伐採するのか問うと、「道路の柵を取り換えるために重機を入れるので、橋から橋迄の木は全部切るのです。工事は十月の予定です。」伐採後はどうするのかの問いには、「マットで包んで、その上を金網で覆います。」との答え。これは聞いても分からなかった。A氏があとで教えてくれた。念のため、もう一度「本当に皆伐採するのですか」と言ってみたら、「本当です。私が言ったのだからやるのです。」と優秀な政治家の様な答えが返ってきた。絶対にダメです!心の中で叫んだ。

彼があの様な事を言わなかったら、伐採反対運動など考えもしなかったかもしれない。苦情があったら役所を通して言ってください、個人は受け付けない、と言って帰って行った。

 

Aさん宅の近くに、マットと金網で覆う"のり面補修"(左写真)をした部分があり、Aさんが柵を乗り越えてマットの下を見せてくれた。何やら黒いものと小石があるだけ、厚いマットを突き抜けてどんな木や草が生長出来るというのだろう。殺すだけではないか。Aさん宅での作戦会議になった。署名を集めて河村市長に陳情に行くこと、早速準備にとりかかる。コロナ禍中であり、大勢の集会は出来ない。孤立無援になるのかな、と不安にもなったが、助けてくれる人が思わぬところから現れた。


以前、買った本『玉川上水花マップ』の作者、高槻先生。玉川上水のことを永年観察しており、この三年程は月に一度、橋の一区間を調査しているという。この本が縁で教えていただいた。玉川上水花マップネットワークの代表、生物学者だ。次に「井の頭自然の会」代表の鈴木さん。やはり活動歴は長く、沢山の資料を貸して下さった。この頃から急に忙しくなった。高槻先生の調査に参加。幸橋から蛍橋まで。杉並区の上水が暗渠となる橋、浅間橋から松陰橋まで。また松陰橋付近を詳しく。三度程参加できた。

 七月には三鷹駅近くの三鷹芸能劇場で第一回シンポジウムを開くことが

 できた。また、集めた署名用紙717筆を持って役所に行き、河村市長に

 直接陳情。市の担当職員も数名同席していた。

 八月、予定していた講演会がキャンセルとなる。コロナ禍の為。

 九月、緊急臨時シンポジウムと第二回シンポジウムを芸能劇場で開催。

 十月、息をひそめるようにして上水の様子に注意を向けていた。伐採予定

    の時だったから。

 

十月は何事もなく過ぎていった。その後、話し合いの予定がキャンセルされたこともあったが、年の暮の会議で「のり面の木を伐採する件は見送りとします」と言われたときは、とびあがりたいほど嬉しかった。

 

    ※事務局記:全写真出所:東京新聞TOKYO web